ニメーション基礎美学
 デイヴィッド・オライリー(訳:土居伸彰
David O'Reilly, “Basic Animation Aesthetics"(2009) from David O'Reilly Animation Internet Website
  
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スタイルについての覚え書き

「形式のオリジナリティを追い求める行為は、やはり不毛だ。真にオリジナルな精神を持った真にオリジナルな人間は、既存の形式ではうまくやれないがゆえに、違ったやり方でやってしまうというだけのことだからだ。そうでない人間は、とある形式をクラシックな伝統の一種とみなして、その内部で努力する方が良い。」(スタンリー・キューブリック)

 スタイルというものをシンプルに理解するならば、ひとりの映画作家の無意識の美学的傾向であるといえるだろう。作家がある種の世界観に偏ってしまうのは、それがその作家にとって他よりもより本当で純粋に思え、自らの知識や経験を通じて、そういった世界観を真に再創造したいと考えるからだ。映画作家たちは大抵の場合、自らのスタイルには気付いていない。なぜなら、自分のやっていることこそが、自然で明白であるように思えるからだ。ある種の色彩やカメラアングルを繰り返し用いるのは、それこそが唯一のやり方だからである。

 スタイルとは、ある人間が自分の理想を追い求めるときに副産物として生まれてくるのであって、材料では決してない。プロジェクトに取り組むことから自然と生まれてくるものなのであって、わざわざ導入するようなものではない。スタイルは、作品の見た目を表面的に変化させることによって、ある種のアイデンティティを生み出すものであると誤解されることが多い。そういったことが行われている作品は、スタイルと内容とのあいだにほとんど関係がないことが多い。作品を他とは違ったものに、今風のものにすることだけが目的とされているのだ。こういった考え方は、「表層的スタイル」とでも名付けられるだろう。

 表層的スタイルに取り憑かれているメディアといえば、ミュージック・ビデオ、広告、ファッションだ。こういったメディアの内在的な目的というのは、目立つこと、自身のアイデンティティを宣伝することであり、数少ない例外を除いて、ヴィジョンを追い求めることではない。これらの作品を作る人たちは、自らが属している産業に取り憑かれ、借用することを不道徳なまでに意識し、自分のスタイルを刺激的なものにするということに取り憑かれていることが多い。もちろん、いかなるメディアであってもオリジナリティは生まれうるし、私たちはみな、何か新しいもの、他とは違っていて興味深いものを生み出そうと考えている。しかし、それは見た目を強固にするだけで得られるものではない。地盤から組み立てていくことこそが重要なのだ。


シンプルさについての覚え書き

「すべては可能な限りにシンプルであり、これ以上シンプルになりようがない。」(アルバート・アインシュタイン)

 世界を定義する美学的法則は、可能な限り少ない必要がある(ただし、少なくなりすぎるのもよくない。)基礎的でシンプルであればあるほど、そこに変化を加えようとする際の興奮や視覚的な収穫の量も高まる。あらゆる色調を常に用いつづける映画は、色彩を創造的に用いる力を失ってしまう。

 この点において、シンプルさは必ずしも視覚的なディテールや複雑さについてのみに関わる話ではない。どれほどの美学的な法則が許容されるかという問題にこそ関わっているのである。ミケランジェロのダビデ像はとてもシンプルな美学を持つ。純粋な白の大理石、正確かつ大胆なかたちと大きなスケール。クライアントはもっと色を加えたり他の大理石を加えた方がいいと考えるかもしれないが、そうするとシンプルさの原則に反してしまうのだ。美的なシンプルさは、エレガントな感覚を生み出す。多くのルールを課せば課すほど、このエレガントさは消えていってしまう。
 
 少数の美的ルールを用いることについての、ちょっとした覚え書き――もしある作品が強力な原理によって支えられていないとすれば、それはコピーされ、模造されたものであるといえるだろう。盗用とは何かという議論は常に存在し、商業アニメーションの部門では特にそうだ。私はこの考えが主観的なものだとは思わない。盗用とは、作品の美的法則が他の誰かによって模倣されたときに起こるもののことだ。それぞれの美的法則は定義可能である。それゆえに比較可能でもある。[訳注:それぞれの作品には内在的な美的法則があり統一的なものはないので、ある作品が他の作品と同じ法則を持っていたとすれば、それは盗用であるということ。]

 『プリーズ・セイ・サムシング』を定義する美学的ルールは明確であり、リスト化することもできる――エイリアシングしたピクセル、一般的な遠近法と等軸の(平面的)遠近法との混合、安全地帯を故意に壊していく要素、テクスチャーなしのマップ(すべての色彩は直接描画されている)、完全なる合成音による台詞、2コマ撮りのアニメーションといったものの使用である。ルールを作ることに加え、ある種のものの使用を拒否することもまた同様に重要だ。禁止のリストはこうだ――モーション・ブラーを使わない、フォーカル・ブラーも使わない。レイ・トレーシングや複雑なシェーディングを使わない。メッシュスムースや手持ちカメラも使わない。ヴェネットフィルターもダメ、グロー効果もダメ、フェードもダメ、クロスフェード、ワイプ、トランジションももちろんダメ。


結論

 今回の論考では、私のアニメーション制作方法とその吟味のやり方のモデルを紹介した。これはどのようなタイプのアニメーションにも適用できるほど広範にわたるものであろうし、スペシャル・エフェクトやビデオ・ゲームにも言える話だ。しかしとりわけ有効なのは、作品の細部を抽出し、それについて語ることである。

 3DCGアニメーションにおける技術は目をくらませるほどのスピードで進化している。新しいツールやテクニックが毎年付け加えられ、この進化に耐えぬき、時代遅れにならずにいられる作品は多くない。こういったことはあらゆる発明に際して起こりうることだが、それを「高速拡張美学辞典」と名付けることにしよう。あらゆるアニメーター、デジタル・アーティストが内的に保有している辞典のことだ。3DCGのリアリズムは毎年ゆっくりと洗練されていくので、こういった人々の内的な辞典はアップデートされ、以前のものは突如としてすべて時代遅れになり、スタイル化されていく。一方でプロではない観客の内的辞典は同じものでありつづけ、アップデートは長い時間をかけて行われる。かつては観客をそのリアリズムによって驚かせていた3DCGアニメーション作品は、今ではその効果を持つことができず、間違ったもののように思えてしまう。ちょっとした美学的矛盾に気付く観客は少ないが、しかし、数年すればその観客の数は増えるだろうし、10年か15年もしてしまえば、観客は誰もが無意識にそれに気付き、笑いものにするようになることをわれわれは経験から知っている。もちろん、悪い美学を偽って通用させることもできるだろうし、新たなエフェクトや技術によって観客の目をくらませることはできるだろう。映画史というものは本当は美的な杓子定規でしかない。何を残し、何を忘れるのかについて、かなり選択的なのである。

 美学を理解することで、映画作家は自分の作品をより広く詳細な視野で理解することができるようになる。何がうまく機能し、何がそうではないのかをきちんと知ることによって、作品世界を「信じうる」ものとすることを可能にする。「おかしい」となんとなく思うのではなく、「何がおかしいのか」を指摘することができるようになる。結局、美学の知識こそがオリジナリティの本質的な鍵となる。自分自身の美学的選択について再考することを余儀なくされたとき、われわれは新しい考え方や新しいアイディアに辿り着く。自分の作り上げる世界の美学的な網目に意識的ではない作り手は、既存の決定、共通したドクトリン、凡庸さに逆戻りすることになるだろう。

 3DCGアニメーションにオリジナルな世界を生み出す可能性があるのなら、それに挑戦し、新たな世界を作り上げない理由はない。そうしたところに辿り着くためには、われわれは善悪や美醜といった概念のすべてを忘れ、一貫性というアイディアにシフトすべきなのだ。




デイヴィッド・オライリーDavid O'Reilly

1985年、アイルランド、キルケニー生まれ。余計な要素を削ぎ落としたヴィジュアル・スタイルのCGアニメーション制作を続け、2009年、アニメーションの伝統であるネコとネズミの関係性を現代性豊かにアップデートした『プリーズ・セイ・サムシング』はベルリン国際映画祭短編部門のグランプリを皮切りに、世界各地のアニメーション映画祭で受賞を続けている。『銀河ヒッチハイクガイド』や『ランボーの息子』(日本未公開)といった映画へのアニメーション・シークエンスへの提供、M.I.Aのステージ用映像やU2のPV"I'll Go Crazy If I Don't Go Crazy Tonight"など音楽畑の人々とのコラボレーション、iPhoneのホログラム・アプリケーションのコンセプト映像提供など、伝統的なアニメーションの分野以外でも幅広く活躍中。現在はベルリン在住。

公式サイト:David O'Reilly Animation

フィルモグラフィー

2003 Animal
2005 Ident
2006 WOFL2106
2007 Serial Entoptics
2008 RGBXYZ
2008 Octocat Adventure
2009 ?????
2009 Please Say Something


デイヴィッド・オライリー「アニメーション基礎美学」(3)
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