(インタビュアー 土居伸彰) ――この『Tokyo Loop』では、東京という題材が与えられています。それに対するアプローチっていうのはどのように考えましたか。 山村 基本的にはフリーなテーマで、簡単に縛りを提供しただけっていうことは、企画の意図から理解したんだけど、でも初めはすごく真剣に考えて、やっぱり『Tokyo Loop』っていうタイトルがついているからには、観客はどのように作家が「東京」に関するイメージを作り出したのかを期待して観ると思ったので、最初はすごくダイレクトに「東京」自身を描くことを模索してたんだけど、苦労して企画のアイデアを練りながら、だんだんダイレクトな東京を描くっていうことにはこだわらなくなっていったんだけど。
山村 そうですね、『遠近法の箱』のときくらいから意識的に、自分の置かれている環境とか東京の都市を描こうとしていたから、最初のうちは、それをもっと、バックグラウンドとしてだけではなく、状況そのものを具体的に描こうとしてた。考え始めた時は、もっとダイレクトに東京って言うもののあらゆる面、構造、地理的な面、社会的な面、経済的な面や、「ループ」っていうものからイメージされる東京っていうものは何だろうとか、なかなかそうすると……例えば、山手線や環状線が皇居を中心にした構造になっていて、最終的に天皇の問題まで行き着いて、これはいろいろと問題もあり、とても難しいので、その考えは捨てる事にした。
――そこで、『Tokyo Loop』のもう一つのテーマである「アニメーション100周年」というものに触発されて、基本に帰るというか、アニメーションのプリミティブなものを出していくという方向性に変えたということでしょうか。 山村 どちらかと言うとそうです。 ――制作の時系列的には『年をとった鰐』と同時期でしょうか。 山村 『鰐』は終わっていたんじゃないかな。『[カフカ] 田舎医者』を作ってたんだ。もう作り始めていて、最初スケジュール的に厳しいからお断りしようかと思ったんだけど、せっかくこういう企画で[古川]タクさんが選んでくれたし、頑張ってみようと思って参加することに… ――結果的には『カフカ田舎医者』や『頭山』とは違って、『年をとった鰐』に近いシンプルなものになりました。DVDにはメイキング映像が収録されていて、小さな紙に描いている様子を見ることができますが、あれをもうそのまま使ったということなのでしょうか。 山村 そのままスキャニングして、画面の汚しだけプラスしているけど、デジタル上の加工とかカメラワークとかもほとんど何もつけてなくて、全部1枚の紙の上に描いた。
――ちょっとぼやけたりするとか、そういう加工はしましたか。 山村 周りのふちが黒くなっているのは、汚しだけ別レイヤーでかけて、絵そのものはなにもいじっていない。デジタル上でのエフェクトもかけてない。色は調整したかな、多分カラコレ(色調整)だけデジタル上でしたと思う。 ――音楽については質問します。いつものやり方とは違いましたよね、作曲家の人とあまり対話が出来ないようなかたちで。 山村 多分、参加した作家の中では、ぼくはかなりしつこく対話したほうだと思う。あの、『冬の日』で後悔して。『冬の日』では音はお任せだったんですよ。簡単なイメージだけ告げてやってもらっちゃって、自分としては納得していなかったんで。SEの人が悪かったわけではなくて、コミュニケーション不足というか。やっぱり作家として関わる以上、自分のイメージを、かなりしっかりコミュニケーションして伝えないとダメなんだなというのを学んで。今回は時間的には短かったけど、はっきりと伝える所は伝えたつもりです。 ――「どういう展開で、ここで盛り上がって……」とかそういう所も。 山村 はい。メロディーからリズムから楽器編成に近い所まで、それに近い曲を聞かせてこういう感じにして下さいと(笑)。メロディアスな、わざと郷愁を誘うメロディーっていうのも最初注文付けて作っていただいて、でも山本さんといえばノイズが魅力だし、ちょっと崩したいところにノイズをいくつか曲が出来てから付け加えていただいて。ただその部分のある箇所が、MAの時に本当に技術的なノイズにしか聞こえなくて、「外して下さい」って言ったらちょっとむっとして、「ノイズ付けてって言ったじゃないですか」って……でも最終的なバランスはミックスの時に決めるので、とったり削ったりという部分はどうしても出て来るので……ある意味ミュージシャンを縛ってしまったかなというのはありました。 ――ということは、全体としてかなり山村さんの望んだとおりにいったと。 山村 それでも今回企画のところで、山本さんはかなり自由に作るっていう方針で進めていたから、これでも普段よりはオーダーは少ないと思います。
――『Fig』でもやはり、山村さんの作品に頻出する「水」のテーマがあります。 山村 『Fig』には久しぶりにメインで出ている。『水棲』以来。あまり意識してなかったけどな。後で分析すると色々な言葉が出てくるのかもしれないけど… ――創っている時は別に意識していない、という感じですか。 山村 そう。『Fig』は、凄く苦しんだんです。ストーリーが出てくるまでに。3回くらい絵コンテ書き直して。最初提出したイメージボードと全く違うものになった。さっき言った「東京中心」っていう最初のアイデアで悩んだところがあって、もう一個違うものを考えて、フィルムまで創り始めて、それもやめにして、ゼロから…… ――「夜君」というキャラクターが出てきたのが大きかった、ということですが。 山村 そう、もういいやって捨て身になって、自分がやれる事はこれしかないんだ、くらいに気持ちがもってこれた時に、何か吹っ切れて乗っていった。出だしは、「東京だから東京タワーでいいや」って、それくらいいい加減な感じで。それにどういう意味があるとか深い事は考えずに、取りあえずその出発点で。その先どうしようかってなかったんだけど、まずアニメートしてみようと描き始めて。なぜか泣いたんだよ、彼[夜君]が。涙をポタット流したの。最初のシーンで。あそこから弾みがついて、後はドーッと出て来た。それは面白かった。自分としても。 ――水というものが……山村 たまたま涙になって、その涙つながりで、水道の犬とか、電球の所とかが出来上がっていって、空間が水の様になっているようなシーンも、最初に彼が泣いたってところが出発点で。なぜ泣いたのか、無意識から出て来たんだけど。 ――水の音が印象的です。SEは後からつけましたか。 山村 あれは色々交渉して、当初全体の予算が出ないから、SEはつけられないと。だから自分のアニメーションの制作予算から出した。音の部分で『冬の日』の時の後悔もあったので。プロジェクトになると、他の人とのバランスとかも考えてしまって、どうしても遠慮してしまったり。ただ、今回はなるべく後悔したくないと思って。以前の経験で、後で言い訳が効かないことが判ったので。 ――試行錯誤があるんですね。 山村 何でもそうなんですよね。一作一作、ちょっとした経験とか、後悔とかの積み重ねで... ――作画的にプリミティブにしたと同時に、自分のテーマも自然と出てしまったと。 山村 だから最初出だしが東京タワーっていうのと、どっかで聞いたような台詞なんだけど、「明けない夜はない」というのが頭にあって。孤独の先のささやかな希望みたいな事が描ければいいかなというのが漠然とあった。 ――こんな質問をするのはあまりよくないかもしれませんが、Fig(無花果)に込めた象徴性とかそういったものはありますか。 山村 あれはけっこうあとづけ。タイトルと、その無花果は。 それはだんだん必要になって来て出て来た。発想はイチジクから出発した訳じゃないです。 ――自分の中の自然な流れで。 山村 一つ前のアイデアに「林檎」が象徴的にあった。そこの流れの繋がりはあったかな。そのアイデアも納得いく訳じゃなかったから、それは捨てちゃったんだけど。
山村 あまり客層は意識してないけどね、両方とも。『冬の日』も全然意識してないですね、そう言われてみると。 ――なぜこの質問をしたかというと、山村さんは常に自分の作品をエンターテイメントとして仕上げようと言う意識があります。エンターテイメントにするためには、観客の反応って言うのは考えないといけないわけですよね。客層を意識しないという場合、エンターテイメントにするためにはどう考えるのでしょう。 山村 勿論、観客を意識しているんだよね。アニメーションだから観客に向けて「上映」してはじめて完成するから。いわゆるファインアートみたいに自分の好きな表現、問題意識だけを作るっていうふうには作ってないけど、でも、自分の表現を最大限に精一杯やることが面白い、だから、エンターテイメントになるっていうことを信じてやっているので、だから特定の観客層とか年齢とかは意識してない。漠然としたこの自分の面白さを理解してくれる人がどこかにいるって思ってその人に対して誠実に作ろうと、それは簡単に言うと、自分自身に対して一生懸命やろうっていう所でやっている感じかな……結局それは見せようっていう意識で、それがエンターテイメントっていうことになるんだろうけど。特定の誰かに向けてのコミュニケーションとして作っているのとは、またちょっと違う。 2007年7月29日山村浩二宅にてトーキョー・ループ 「Tokyo Loop」はサントラCD、解説本も発売されている。 |
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Tokyo Loop インタビュー2 山村浩二 <1 2>
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