フカ 田舎医者』
Animations座談会5 < 1 2 >
ールの違い

土居
今日は制作に参加されている方々がいるので、話をきいてみたいですね。荒井さんは作画を担当なさっていますね。

荒井
ディズニーの動画を描くのと山村さんの今回の作画は、仕事としては紙に絵を描くってことで同じだけど、ルールが全然違いました。

土居
そのルールの違いというのは。

荒井
商業の方が制限が多く、答えがある程度わかっている。もちろん、商業の方も、わかっていない部分はあるんですよ。中割りアニメーターは、仕事の内容にもよりますけど、面白くつくろうと思えばつくれる部分はあります。でもそれは、限られた部分であることが多いんですよ。線質、動きの振れ幅の制限があって、クリーン・アップしなければならないことも考えないといけない。でも一番は、元の原画が違うんです。ルールが全然違う。あ〜?

大山
戻ってきた(一同笑)。

山村
どう違うのかをもっと具体的に(笑)。

荒井
違いは何かっていうと、原画自体の自由度が高い。割る方も、そういうものを割っているという意識を持たないといけない。だから、商業の方のルールに慣れている人は、すごく戸惑うと思うんですよ。山村さんの中割りをやると。

山村
割りづらいんですか。

荒井
全部というわけではないですけど。あまりに原画が規制がないから。私は面白く作業ができました。ものすごくいい加減な人なので。

土居
今回は結構たくさん割ってもらったんですよね。

山村
たくさん手伝ってもらってますよ。『頭山』よりも多いよね。フルのシーンもかなり多かったので。『鰐』よりも多かった。

土居
フルのシーンというのは、震えがすごいところですか。

山村
震えのスピードが激しいところや、馬車がバッと走るところとか。フルじゃなきゃできない。


『カフカ 田舎医者』(2007) ⓒ Yamamura Animation / SHOCHIKU

荒井
仕上げも大変だったでしょうね。

山村
中田さんに話を振ろうとしている(笑)。

土居
中田さんはどういう手伝いをしましたか。

中田
私は、人物の顔や手以外の部分に色鉛筆でタッチをいれる作業をしました。服のシワとか馬とか。医者の毛皮はいっぱい描きましたね。

荒井
塗りはやってないの?

山村
塗りは(妻の)早苗が担当してます。

荒井
線の震えだけじゃなくて、塗りも微妙に違ってますよね。濃淡はあえて激しくしていなかったとは思うんですけど。でもやっぱり、一コマずつ塗っているので、コマの間の震えがある。

山村
鉛筆のラインを先に描いて、その上からマーカーで塗るってしてた。『どっちにする?』もほぼ同じ手法なんだけど、動画に仕上げの紙を重ねて、先にマーカーを塗るわけです。鉛筆があると鉛筆をひきずると黒く汚くなっちゃうから。でも今回はそれをあえて入れたいと思って、先に鉛筆をいれてから、マーカーを塗るようにしました。無作為の汚れがいっぱい入るように。

土居
デジタル臭さから脱却するための工夫ということですか。

山村
絵の偶然性が入るから。かっちり描いたデッサンって面白くないじゃない。汚れが陰影の一部になったりとか、いろいろと意味を置き換えられるわけ、見た目でも。それが幅がある方が、絵としても面白い。自由度があって、完成度も上がる。特にアニメーションの場合、ラフな方が面白いと思うんだよね。堅い絵よりも。鉛筆の石膏デッサンできれいに描いた絵よりも、ザッとやった方が。作為的にしたくなかったのかな、絵の部分で。なるべく無意識の部分が入るように。きれいにしようという線の仕上げ方はしないようにする。そうは言っても計算しないわけではなくて。きっちりしているところはかなりきっちりしているんですよ(笑)。

大山
『鰐』のときも早苗さんが塗ったわけですか。あれに比べたら、『田舎医者』はかなりやることが増えてますよね。『鰐』はその後のタッチがあまりないわけですから。

山村
色数が増えると、早苗の仕上げの手間も当然増えます。あと、仕上げの中田さんは、アニメーションをいっぱいやっているから手伝ってもらった。普通にイラスト描いている人は、仕上げのタッチをいれられない。ランダムなようでつながっているというのを把握してないと。吹雪のシーンは、一個ずつ動画にしているというよりも、かなりランダムにしてるんですよ。ランダムの方が激しい吹雪にみえるから。そうはいっても、ある程度の量は決めていかないと、そのへんは自由になりすぎてしまうと、みづらくなってしまう。

大山
自分の手が入ってると、作品観るときにそこばっかり目がいってしまったりする?

中田
どこをやったかは覚えてはいるんですけど、目がいくってほどではないですよ。

レンマ


『校長先生とクジラ』(2007) ⓒ Greenpeace

土居
『校長先生とクジラ』の話もしましょうか。

荒井
『校長先生』は、原画の仕事も手伝わせて頂きました。原画と動画、併せて。

土居
任せられた比重はだいぶ高いですよね。

山村
『校長先生』は、三人に原画も動画もすべてやってもらった。

土居
じゃあ、コンセプトだけなんですか。

山村
キャラクター・デザインと仕上げかな。動きはほとんどつくってない。演出だけ。

荒井
私は、もう二人のアニメーターの仕事もよく知っているので、三人の特徴がよく出ているなあと感じました。

土居
どういうところで見分ければいいんですか。

荒井
それは見なくてもいいの。全然重要じゃないところなので。でも、それぞれに適性みたいなものはあって、それは出ている。今回は、三人が描いたキャラクターを直さず、統一してないんですよね。

山村
多少は直したけどね。

土居
直すっていうのはどういうことなんですか。

山村
キャラクターの顔つきとかサブのキャラクターとか、自由につくってもらったものを、あまりに自分の世界観と違うものだけ修正したり。そういう監修だけはした。普通の商業アニメーションだと、作画監督がもっと手を入れると思うんだけど。そこまでやる時間がちょっと厳しかったので。動きのところはやらなかった。

荒井
あとはポーズですかね。このタイミングでこんなポーズ、みたいなことは、描く人によって違う。

山村
描写は違うよね。同じ鉛筆の線で描いていても。人間もそうだけど、波の描き方とか、水の表現がそれぞれあるんだなと。

土居
『鰐』の海って……

山村
あれは知恵さん。ものすごい頑張ってやってもらったけど、全部動画で。エフェクトもかけてないですよ。

荒井
でもあれはOLも……

土居
OL……!?

山村
オーヴァー・ラップが。

土居
ああ……

山村
オーヴァー・ラップは波にはかけてます。


『年をとった鰐』(2005) ⓒ Yamamura Animation

土居
大山さんも『校長先生』を手伝いましたね。

大山
みんなの働きを見てました(笑)。そういう役割でした。「すごいなあ……」と思いながら。山村さんはずっと個人でやってきたので、作り方はだいぶ違うだろうから。すごく大変なんだなあと毎日どんどん増えていく動画を、「すごい量だなあ……」と。

ニメーションの制約・必然・特性

土居
中田さんは『田舎医者』についてはどう思いましたか。

中田
最初にみたとき、コンテンポラリー・ダンスみたいだと思いました。驚きの表現とか、間の掴み方が面白いですよね。必ずしも現実に即した動きでなくていいんだなあと感じました。その時ちょうど自分の作品の動きがすごく窮屈だなと感じていて、それを打開することをひとつの目標にしていたので、『田舎医者』は衝撃でした。作り込んでいくことによってエッジが決まりすぎて窮屈になってしまう作品が多いように思いますが、山村さんの作品にはそういうところがないんですよね。すごいです。

土居
動きについては、(ニコラス・レイの)『大砂塵』を参考になさったそうですが。

山村
そのイメージがかなりあって。いくつかのポーズの印象やタイミングの感じが。リズムの問題かもしれない。原作を読んだときに、『大砂塵』と近いイメージが浮かんだ。たぶん、「逆らえない運命」という核と、作品のリズムが似ているのかなと。ダンスは意識してなかったけど、確かにポーズの面白さみたいなものは原作からすごく感じてた。人間の役者でできないポーズをかなり入れているので。

土居
スーパーチャンプル」は参考になったりしていませんか。

山村
あの番組のアニメーションダンサーはみんな好きで、人間の身体の制約のなかでの不可能な動きというのが面白いんだけど、アニメーションだともともとその制約がないので、ああいう面白さは出せないかな。単に動きが面白いのでみているのだけど。

土居
アニメーションに制約はあるんですかね。

山村
どこにあるんでしょう……

土居
ないんですかね。

山村
僕はないと思っているんだけど。時間を直線上にみなきゃいけないというのはあるけど。

土居
制約がないことで難しくなったりはしないんですか。制約があれば、一応、枠ができることにはなりますよね。

山村
あった方がつくりやすいとは思う。アニメーションの場合は、制約が無さ過ぎるから難しいのでしょう。だから、あまりにできる範囲が広がりすぎて、みな本質を見失った作り方をしているし……

和田
ちょっと耳が痛くなってきました。

山村
別に和田くんのことを言っているんじゃないよ(笑)。

土居
すごい顔になったんでびっくりしましたよ。

大山
凍ってたよね、一瞬(笑)。

山村
いくらでもいろんなものを入れ込めてしまう。その人が抱え込んでいる部分が、簡単に映像になってしまいすぎて、どれも幅が狭くなっているのかな。

土居
無制限な自由というものは実際にはないですからね。それゆえに逆に狭くなってしまう。

山村
基本的には、現実の時間や空間からすべて解放されているものなので、制約はないね。

土居
必然はあるんですか。

山村
最低限のシステムとして、コマ撮りで作り上げること。そこから考えるしかないのかな、という気はしますね。そこが面白いところなんだけど。あと、特性はいくつかある。それをわきまえた上でつくると面白いんじゃないでしょうかね。……って、アニメーション教室になってしまった(笑)。

土居
特性とは?

山村
まずはシンプルさ。どんな複雑な絵だとしても、当然省略が入り込んでいて。シンプルさの余白に想像力が働く。実写映画というのは逆にどんどん複雑さが入り込んでしまうんですよね。映り込んでしまうディティールがどうしても排除できない。アニメーションは最初から排除されている。そのシンプルさという特性は意識したうえでやった方がいいんじゃないかなと。あとやっぱり、ユーモアというのは忘れてはならないんじゃないかな。語りをみせていく上では。

土居
シンプルさとユーモアということでいえば、『こどもの形而上学』というのは、まさにそのモデルケースのような……

山村
そうですか(笑)。あれは自分なりに制約を設けてつくったから。

土居
その制約というのは。

山村
キャラクターが一人ずつしか画面に出てこなくて、モンタージュによる関係性をつけないという制約です。

グェン
「Pieces(おまけ)」という作品と連携しているように思えるんですけど。

山村
確かにね。でも、「Pieces」はあまり考えてないので語れないですけど……『こども』の方はすごく考えてつくっているので。

気に入りのシーン


『カフカ 田舎医者』(2007) ⓒ Yamamura Animation / SHOCHIKU

大山
『田舎医者』で一番気に入っているシーンはどこですか。

山村
医者が服を脱がされるところとか。あれがやりたかった。あのポーズは読んだときから浮かんでいたから。あとは、ローザが「馬を貸してください」と歩き回るところかな。あれ、全然演出してないの。演出してないって変なんだけど。どう描くか、ものすごい悩んでて。原作では一言、「馬を今、探しているはずだ」だけ。

大山
こういうの(扉に顔がついている)は、原作にはないんですよね。

山村
ないない(笑)。その顔の扉のアイディアも、電車のなかで思いついたんだけど。最初はすごく平凡なカットの積み重ねで、いくつかの家の前でローザが立っていて、ドアを叩いているというくらいしか演出が思いつかなくて。これはなにも面白くないなと。でもこれは、医者がそういうふうに思っているだけのシーンなので、ローザが実際の空間にいなくてもいいなと。そこから始まって、それで動画から描きはじめたのかな。そしたら自然とローザの変形が始まって。流れですごくウワーッと出てきて、自分でも考えてなかったほどに気持ちよくできた。 たぶん、ものすごくいっぱい考えて、破棄するというか超えたときに、想定外のイメージが出てくるときがあって。そういうとき、自分でも嬉しいわけですよ。狙ってやったのではなくて。作ってて気持ちいい。なかなかないんだけど。どのシーンもそれを出せたら天才だと思うんだけど。でもそれをやりすぎると、ますます万人に受けない作品になるから……(一同笑)。

2007年11月24日 山村浩二自宅にて


シネカノン有楽町2丁目(東京)11/17(土)〜
12/14(金)まで 朝9:45よりモーニング、夜21:45よりレイトショー
12/15(土)〜21(金)  夜22:00よりレイトショー
12/22(土)〜 夜21:30よりレイトショー
12/28(金)21:30の回上映前
ゲスト(予定):山村浩二、池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)
※全席指定。当日朝9:30より販売開始。
※12/31(土)〜1/3(木)は休映

梅田ガーデンシネマ(大阪)12/15(土)〜
12/15(土)〜21(金) レイトのみ20:35(終21:35)
12/22(土)〜28(金) 10:00 / 21:00
12/29(土)〜'08/1/4(金) モーニングのみ10:00
(ただし'08/1/1は休館日)

シネカノン神戸(兵庫)12/22(土)〜

京都みなみ会館(京都)1/5(土)〜

『カフカ 田舎医者』公式ホームページ

ひとこと後記
アニメーションを語る際には、出来上がった作品の表面をなぞるだけでなく、作品が出来上がっていく過程に対しても想像力を働かせようといつも考えている。そこでなにかを掴めたとき、作品の表面もまた違った顔を見せてくれる。『カフカ 田舎医者』に関して、僕は僕なりにその作業を突き詰めたつもりで、その成果がパンフレットのレビューだったり前回のインタビューだったりした。でも、足りてはいなかったようだ。作り手の方々の視点は、掘り下げるべき視点がまだまだあることを教えてくれた。そして、質問が加わるたびにその堅固さが明らかになっていく山村浩二の創作に対する態度と、新たな視点を得るたびに見え方を変えていく『田舎医者』に驚かされた。もう一言。『校長先生とクジラ』の違和感が理由のないものでなくてよかった……(土居)

 僕はまだ『カフカ 田舎医者』を一度しかきっちり観ていない。なのであまりこの作品について語る口をもっていない。ただ、この「一度しか観ていない」と思える作品はそうあるもんじゃないし、そう思わせてくれるこの作品は、やっぱりいろんな面での強度やら深みやらが備わっている良い作品なんだろうと思う。だからこれを初めて観た時は感心する気持ちもあったが、それ以上にショックだった記憶がある。ペンタグラフ(五角形のレーザーチャート表)みたいなものがあったら、ほとんどMAXに近い点できれいな正五角形ができてしまう、あの感じ。鬼が金棒持った、あの感じ。そしてそのショックは決してショックだけで終わることなく、それを糧にして、もっと良い作品を作ろうと思わせてくれるのである。12月15日現在、神戸市民の中で一番『田舎医者』の巡回上映を待ち焦がれている和田でした。(12月22日より、シネカノン神戸にて放映) (和田)

 「カフカ田舎医者」という約20分の短編映画が、モーニング・レイトショーとはいえ日本で劇場公開されているという現状を、奇跡のようにも思えるし、当然の事の様にも(さらに言えばもっと多くの人々に関心を持たれていなければおかしいとも)思う。あまり仲間内で褒めあってばかりいても気持ちが悪いから、批判的とは言わないまでも鋭い指摘の一つもしてやるぞと挑んだ座談会であったが、うーん・・・考えれば考えるほど、知れば知るほど、作品に対する評価は上がる一方。計算しつくされている。それも偶然の要素をきちんと取り入れつつ・・・。大胆すぎるのではないかとも思える鉛筆のグルグルに関しても、意図的にあえて絵と浮くように仕上げているというのだから驚いた。情報量を多くしたり雰囲気作りをするために汚しを入れる人は多いと思うが、"あえて浮くように"となると、よっぽどの確信がないと出来る演出ではない。前回の土居×山村インタビューも含め、作家「山村浩二」をより深く知る事の出来た大変有意義な座談会だった。(大山)

 以前Animationsの座談会の中でも出た発言だと思うが、短編アニメーション作品を理解するのには訓練がいるように思う。見た時に直感的に感じる感情を、理論的な思考で具体的な言葉に置き換えていくのはとても難しい。 人にはその時々で好きなものや流行っているものがあって、それにぴったり当てはまるものがあると熱を上げたりする。しかしそれは一時的なもので、しばらくするとあっさり消えて行ったりする。一方見た時に「好き嫌いとかじゃなく、なんかものすごく引っ掛かるなー」と思った作品はその後も自分の中でずっと生きていたりする。山村さんの作品がまさに私にとってそういう引っ掛かる存在である。座談会での発言を読んでいただけば解る事だが、私が現在『田舎医者』に関して理解しているのはごく表面的な魅力に過ぎない。私がまだ言葉にできていない「よくわからないけど何か引っ掛かる」の裏側に、山村さんのたくさんの努力と深い造詣があったことを今回の座談会で実感した。ちゃんと言葉にできるまで何度も帰ってきたいそんな作品です、山村さんの作品は。(中田)

どんなアニメーション作品もメイキングシーンを覗くのは興味深いものですが、『田舎医者』については前回のインタビューと併せて殊更面白かったです。アニメーションを作るにはまず衝動あり、で、そのあとの作り込みの部分がいかに重要なのかを思い知らされました。「余白を描く」というキーワードが印象深く胸に残ります。
商業作品と個人作品の作画ルールについての発言に補足します。商業作品は、多くの人員で分業しつつクオリティを一定に保たせる為、観る人が分かり易いものにするという他に「分業する全ての人が理解ができるように」設定、登場人物が徹底してデザインされています。キーフレーム(原画)づくりや中割り作業も然り。 山村氏の描く原画は、彼がそのシーン、絵、動きを純粋に必要として描かれたもので、そこに分業制の為のルールは要らない。…ということを言いたかったんだと思います。
上映は現在、関西も好調で有楽町も延長されていますね。嬉しいです。このインタビュー、座談会を見てからもう一度行ってみたら、また違ったものが見えてくるかも知れません!(荒井)
Animations座談会5 『カフカ 田舎医者』 < 1 2 >