Animationsは、月一回、山村浩二宅で会合を行っている。この座談会は2007年4月30日の会合時に、Animationsのメンバー7人によって行われた。Animationsが結成されることになったきっかけをめぐる前編、Animationsが標榜する「アニメーションの正統性」についての議論が後編である。Animations座談会は、今後も月一回のペースで更新されていく予定。(土居伸彰)
出席:山村浩二、荒井知恵、大山 慶、和田 淳、中田彩郁、イラン・グェン、土居伸彰
(前編)結成のきっかけ
もそものはじまり
山村浩二
じゃあ、ついさっきAnimationsと名称が決まったこの会について。なんだかんだでもうすぐ一年近く。去年の8月に最初の会合があったので。
これまで少しずつ勉強会を重ね、一年後に活動の成果を見せられるかなというところまできたのですけども、じゃあ、まずこの会のテーマでもある「アニメーションの正統性」とは何かということを土居くんの仕切りで。
土居伸彰
まずは山村さんに経緯を簡単に。
山村
はい。
大山慶
なぜこの人たちを選んだのかという……
山村
あのー、ものすごくくだけた言い方をすれば、お友達が欲しかった……(一同爆笑)。お友達というのは、アニメーションについて共感できる仲間が欲しかったという意味で、もちろん、僕はいろいろ自主団体に入っていて、アニメーション80だとか日本アニメーション協会やASIFA[国際アニメーション協会]だとか、比較的個人作家が集まるようなグループに80年代から所属はしていたのですけども、なかなか、面白いと自分が思っていることを心の底から一緒に語れる人と出会えなかったとこともあって、活動していても非常に孤独な感じがあって。それでも、僕が考えるアニメーションの面白さっていうのを、自分の作品上映やフェスティバルに出品するという形で続けてきたのだけれども、やはり一人だけでは力になっていかないということもあり、たまたまここ数年、何人かの人たちと_まあ、ここにいる人たち全員そうだけど_出会っていくなかで、自分が目指しているかたちに近いものを感じてくれているんじゃないかと思って、こちらからラブコールを送ったというのがいきさつですね。
中田彩郁
光栄ですよねー
土居
びっくりしましたけどね……
山慶の場合
大山
でも、おこがましい言い方なんだけど、僕も同じように、大学[東京造形大学]で作品を作ったり講評を聞いていくなかで孤独をすごく感じていて、自分はちょっと感性がおかしいんじゃないかとかそういうことを思っていた時期もあって。で、和田[淳]くんの作品をどこかではじめてみたときに、「仲間だ!」と思って、というか「仲間になりたい!」と思って、すぐに声掛けて、遠距離恋愛みたいに週一くらいで長電話して(笑)。中田さんも同じように、すごく尊敬していてときどき電話していたし、土居くんもそうで。山村さんも、一度大学で講評してもらったときに、僕はその場にいなかったんですけど……
荒井知恵
そんなことってあるんですか?
大山
僕はアニメーション科ではなかったので、知らない間に講評されていたので。
山村
ICAF[インターカレッジ・アニメーション・フェスティバル]に出す作品を選ぶっていう講評会でもあったので。
大山
後日何人かの人に、「山村さんが誉めてたよ」って言われて、それまではずっとコンペにも落ちていたし、「わけわかんない」って反応ばっかだったから、一体どこを良いと思ってくれたのだろうと思って、山村さんのメールアドレスをホームページで調べて、「[山村さんは]客員教授で(自分は)生徒なんだからいいでしょ!」って自分に言い聞かせて(笑)。その[メールが返ってきた]ときに「ここが良いと思った」ってのはもちろん嬉しかったんだけど、それ以上に、「ここが悪いと思った」っていうところを読んで、「あ、わかってくれてる、初めて理解してもらえた」と思って、「きっと仲間だ!」って勝手に思ったので、[Animationへのお誘いの]メールを受けとって、自分以外のメンバーをみたときに、すっごく、「ほんとに仲間だったんだ……」と(笑)。違和感をまったく感じなかった。……大山でした(笑)。
居伸彰の場合
土居
僕はほとんど山村さんと面識がなくて、大山さん経由で勝手に卒論を渡して、マイミクにしてもらって(笑)、そんなつながりだけだったんで、いきなりお誘いのメールが来て、なんだか熱い気持ちに……こみあげるものがあって、でも同時にすごいプレッシャーも感じて。最初、誰も山村さんに返信しなかったですよね?(一同笑)
山村
そう、全然返信こなくて、「やっぱだめかー、ふられちゃったなー……」と思ってた(笑)。
大山
これで断られてたらひねくれてただろうね(笑)。「もう一生一人でいい!」って(笑)。
山村
単に創作者の集まりだったら、日本アニメーション協会の仲良しグループだけでいいのかもしれないけど、僕としても評論が日本では欠如していると思っていて、自分では「知られざるアニメーション」のブログで評論とまではいかないけど、いろいろなアニメーションの紹介をやっていたんだけど、どこかで「アニメーション評論家の山村浩二」って書いてあってびっくりした事もあった。(一同笑)まあ、DVDの解説書いたりしているけど、自分としては評論家になったつもりはまったくないし、評論家としては力不足だということもわかっていた。でも、そういう志を持った人がいるとは想像をしていなかったなかで、土居くんがいたのでまず声をかけて、「そういえばイラン[・グェン]さんもいるじゃないか、こんな強力な助っ人がいるなんて」ということで声を掛けたということです。
ラン・グェンの場合
イラン・グェン
それは光栄で……「つながり」や「身近さ」というのは、あくまでも作品を見てじゃないと感じることのできないものだと思うのですけれども。私としては、作品の善し悪しを、できる限り正確に、掴みたい。そうすると、これは非常におこがましくきこえるかもしれないですけれども、個人の趣味とか好き嫌いとかにならざるをえないものではない、それを越えた、作品が残っていくための根本的な要素というものについて、他人に伝えるという以前に自分で理解したいという内なる課題があって。
山村
それにはとても共感できます。「知られざる」の場合も、意図的に悪いものは紹介しないで、自分が価値を認めたものを選んで、マイナス要素の批判はとりあえず入れないというのを決めていて。でも、今回の会は、負の要素ももっと語っていこうと思っていて。僕も、なんでこの作品が良いと思ったのか、なかなか言葉で、一つの価値基準でうまく説明しきれていないので、是非みんなの目を通して、自分も理解したいというところはすごくあったのだけれども。
土居
イランさんは誘われたときにはどんな気持ちでしたか?
イラン
もちろん光栄でした。みなさん知り合いではなかったのですけれども。まず、方針自体に意義は感じました。
山村
イランさん自身はどちらかというと長編アニメーションの方を研究していて……テーマとしてはどうなんですか。
イラン
そうですね、分担して共同で制作されていくアニメーションの方です。ディズニーの場合と比較すると、どういう人がいて、どういうことをやって、どういう努力でできあがったかというある程度の情報は蓄積されているわけですね。ディズニーは一番、論じられている。一方、これは一種の錯覚かもしれないですけども、個人のアニメーションの場合は、他の芸術と一緒に考えてもいいですよね。例えば、絵画と彫刻と小説などと。つまり、一人の人間が作品を形成していくということに対して、共同作業で制作されていくものー映画もそうですけどもーは、やはり、同じように論じることはできないんじゃないかと思いまして。そういうものの輪郭をどうやって捉えるかということで、ディズニーの場合と比較すると、ほとんど何もないと言っていいような気がしますので、まずは、どのような人がいて、どういうふうに作られていたのかということを、まず、やりたいと考えています。
井知恵の場合
山村
じゃあ、ディズニーの話が出たということで、知恵さんいく?
荒井
私は[誘いの]メールをみなさんが受けとったあとに、そういう会ができるかも、とうかがったのだけれど、はじめは、勉強会に参加しないか、という感じで声をかけられて・・・。自分で作品を見て「ふーん」と思うのは今までやってきたけれども、みんなで感想を言いあったりするのに魅力を感じて、ぜひぜひ参加させてください、と。
山村
こちらの一方的な気持ちで言わせてもらうと、もともとディズニー・ジャパンにいて、個人制作よりは分業の世界で腕を磨いていて。でもディズニーをやめてからは、志向としてはどちらかといえば個人制作の方に興味をもちつつも、どうしたらいいのかわからないというのがすごく見えていて、でもそのなかに可能性も感じていて。ただこれは大山くんや和田くんの場合とは逆で、二人はどちらかというと個人ですでに作っていて、これから技術をつけていこうという感じだから。でも、方向としては逆だけれども、ただどちらにも僕としてはどこかで助けてあげたいという気持ちがあって、みんなで勉強することでもう一歩踏み出してもらいたいと思っていた。評論に関してもそうで、おこがましいかもしれないけれども、そういう場をつくれればいいなということがあったのだけれどもね。
田彩郁の場合
大山
中田さんにしても和田君にしても、この勉強会で見てきたものが生かされてるくさいなあと(一同笑)。まあ、和田くんの場合は『Tokyo Loop』でもグッと(作品の質が)上がってたんで、会合の影響がどれくらいあるのかわからないんですけど、今日、新作の『そういう眼鏡』を観たら「やっぱり(会合の)効果出てきてんじゃないの?」ってちょっと嫌な感じが(笑)。
土居
大山さんは変わってませんもんね。(一同笑)
大山
これから変わってくるの!
中田
私は明らかにそうですね。自分のこれまでの作品は、無個性的でいい子ちゃん的なものを作っていたと思うんですけど……
山村
あまり作家になりたくないって言ってたね。
中田
なりたくないというよりは、なれるわけがないと思っていました。
作家性というものがわからなかったんですよ。絵も特にぶっとんだものを描いているわけではないし、人格的にも変わっているわけでもないし……っていう感じでなんとなく作っていたんですけど。でも、いつだったかは忘れちゃったんですが、山村さんが「間」や「タイミング」も一つの個性なんだと言ったのを聞いた時に、一気に回線が繋がったんですよね。元々好きだった舞台や映像作品、自分の中にバラバラに存在していたものが自然と繋がったんです。間の取り方が自分の表現になると気づいたことで、改めてアニメーションが作りたいと思えたし、アニメーションの見方も変わりました。それと山村さんのところでバイトをさせてもらって、「なんだ、山村さんでもこんな地道なことをやってるんだ」って知って楽になったんです。それまでは大変な作業をやっているのは自分が下手だから無駄な作業をしている気がして、イライラしたり落ち込んでばかりだったんですが、その、大変なことをするのが普通ってわかった時に、大変なことをするのが楽になったんです(笑)。だからそれでたぶん変わったと思います。
ニメーションは「タイミング」である
土居
みなさん作品には自分の「間」がありますよね。そこらへんは勘なんですかね?
山村
タイミングは、もちろん当然プロの分業の現場では学ぶことだと思うんだけれども、それでもやっぱり個人差がかなりある。勉強してもできない部分があって、そういう部分を僕は若い人の作品で見極めたりするんだけど。そういうもの[独特のタイミング]があるからこそ、みんなには可能性を感じているんだけれども。
土居
[ノーマン・]マクラレンは[ライアン・]ラーキンに「お前はアニメーションのリズムを持ってる」ってことで、アニメーションをやらせたということもありますが……
山村
それは「アニメーションのリズム」なんだよね。アニメーション的ではないリズムもある。
田淳の場合
山村
……で、和田くんはどうですか。変わったと言われてますけど。
和田淳
あると思いますけどね。僕、わりと影響を受けやすいので。それが何の影響なのかはわからないんですけど(笑)。
山村
意識が変わった部分は?
和田
ありますね。この会に入って、作っている人も評してくれる人もこんなに近くにいるので、やっぱり意識してしまいますよね。良い意味でですけど。それとか、作品を見る数が会に入る前と後とで明らかに違います。僕は学校が学校で芸術大学ではなかった[大阪教育大学]というのもあり、アニメーションをやってる人もおらず勝手に作ってるって感じだったんです。だから他の作品を知らないですし、見なくてもいいとすら思ってました。それで自分の作品も基本的には「面白ければいい」と思っていて、それは今でも変わっていないのですけど、そういう状況から、(この会で)いろんなアニメーションを見るようになって、なんていうか、すごく刺激が多くて、自分のだけじゃない考え方も良いと思えるようになったし、とても勉強になるんです。今はいろいろ見てそれであえて「面白ければいい」に帰れればいいかなと思ってます。常に会合をやるたびに刺激を受けてますし、これからもそうありたいですね。
大山
関西から来てるんだもんねー……[編集部注:和田は神戸在住]
山村
来てくれるとは思っていなかったけどね、誘っておきながら(笑)。
和田
断る気は全然なかったですけど、でも誰もメール返さへんから(一同笑)。
ニメーションをめぐる「孤独さ」と「つながり」
大山
実はあのときメールが来て、返事だす前に全員に電話してた。あ、中田さんにはしてないか。
中田
そうですよ!
土居
「中田さんが最初に出すだろう」って(笑)。
大山
そうだよね。そしたらまんまと(笑)。
中田
そうですよ、誰も出さないから。チクショーって思って(笑)。
大山
でも最初に出した中田さんのメールが長文だったんだよね。だから逆にハードルが上がって(笑)。中田さんは最初に声かけられたときどうだったの?
中田
そのときは、「有名人に声かけられた!」って感じて、喜んで「はい、入ります!」って感じだったんですけど。入ってから、「なんで私なんだろ」とか「今のままでいいのか」とか入ってから悩みました(笑)。だから最初は素直に「わーい」って。
山村
和田くんは?
和田
ラッキー(笑)。だって僕、一回くらいしか作品を見てもらったことなくて。
山村
そう、イントゥ[・アニメーション]のときに持ち込みで。で、作品を見てびっくりして。
土居
すれすれですね。
大山
ぎりぎりだね……そうだ、俺が和田君はじめて見たのもイントゥだ。イントゥに出さなかったら、今頃もう、和田君作ってなかったかもよ。
和田
あれ出したのもぎりぎりだったんですよ。
土居
僕もミクシィで大山さんの作品の日記書いてなかったら知り合ってませんでしたよ。
大山
そうだよ、俺は自分大好き人間だから、「大山慶」で検索してみたら出てきた(笑)。ちょうど文化庁メディア芸術祭の時期だったのかな。
土居
でもそれとは関係なく書いてましたからね。ほんとぎりぎりのところでみんながつながってるんですよね。
大山
ほんとだよ……
土居
孤独さってのは今の短編アニメーションをめぐる状況の一つの問題にもなると思うので、「いかにつなげていくか」ってのは、あとでまた話しましょう。
山村
そうだね。違う意味での孤独さってのはキープしなきゃいけない部分でもあると思うんだけど。制作していく上では。でも、ネットワークは刺激という部分では重要だと思うし、作品や人に出会うっていうのは大事なことで、僕もパテルが第一回の広島の審査員で来て、やっぱり作品をつくった人が目の前にいるってのは_そのときは直接話したわけではなくて、翌年のワークショップで接触したのだけど_やっぱそれはリアルなもので、「自分も作っていけるのではないか」という漠然とした信頼になって、それでこの道に入ったってこともあったんで、やはり作家同士が近くにいるってのは大事だと思うんだけども。
大山
いまだに、僕たちの知らないところで大傑作を作っている人がいるかもしれないよね。変なコンペばっかにだして一次落ちとかばかりになって、誰にも知られない人がいてもおかしくないよね。
土居
新谷尚之さんの[『納涼アニメ 電球烏賊祭』(1993)]なんてちゃんと評価されないとおかしいわけですし、そういう優れた作品が単発的に生まれてきて、他のどこともつながらないで、そのまま消えていくというようなそういう孤独な状況というのをなんとかしないと。それは「歴史」をつくることだったり「文脈」を作ることだったりするわけですけれども、そういうことをしないと、素質のある人が本当に孤独のままに終わってしまうのではないかと思いますから、つながりをつくっていければいいなあと思いますね。
山村
それは今からやっていくべき一つの道だとは思うけどね。時間がないからそろそろ本題に入らないと……
大山
自己紹介しかしてないですからね(笑)。
>2
|