ヌシー国際アニメーション映画祭2010 レポート
土居伸彰
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 アヌシー国際アニメーション映画祭は世界最古最大のアニメーション映画祭で、アニメーション界において最も重要なイベントとして位置付ける人も多い。映画祭が開催されるアヌシー市にはヨーロッパ一の透明度を誇ると言われるアヌシー湖があり、旧市街の町並みも見事で、観光都市としても人気を集めているようだ。
 映画祭のメイン会場であるボンリュー・センター(大ホールと小ホールの二つの上映会場、アニメーション好きにはたまらない豊富なDVDおよび書籍の在庫を備えた売店がある)は、アヌシー湖へとつながる大きな公園と旧市街の両方に面しており、絶好のロケーションにあるといえる。長編、短編、依頼作品、学生と部門が分かれたコンペティションは、他のアニメーション映画祭と比較すると規模が段違いに大きく、観客数自体も大ホールひとつではとても収めきれないため、複数の会場で数回の上映が行われる。上映会場はボンリュー・センターの他にも、徒歩5分ほどの距離にあるショッピングモールに併設されたシネコンDécavisionに4スクリーン、旧市街のSalle Pierre Lamy、さらに郊外に位置するMJC NovelおよびLa Turbineがある。
 また、メイン会場から湖沿いに徒歩10分ほど(自転車の貸出もある)行ったところのシャトー・ホテルではMIFA(見本市)が行われ、旧市街を見下ろす位置のアヌシー城では毎年アニメーション関連の展示が行われているなど、フェスティバルを過ごすことで自然と街自体も楽しむことになる。近年では商業化に対する批判も多く聞かれるが、まさにそれこそがアヌシーの特徴であるといえる。つまり、大規模商業作品にも広く門戸が開かれており、アニメーションと名のつくものはすべて包括しようという勢いなのだ。広島の「ストイックさ」とはまさに正反対である。

 
メイン会場のボンリュー・センター。上映時には大変な混雑になる。


50周年というより、単に50年目

 アヌシーは「行きたい」映画祭というよりは「行かねばならない」映画祭だと言っていた人がいたが、個人的にはその意見に全面的に賛同してしまう。コンペの規模が他の映画祭と比べると段違いゆえ、短期間でこれだけのバリエーションに富んだ作品を観られる場所は他にはないと言っていい。世界中のアニメーション関係者も集まる。しかしなぜか、参加するのに気が進まないのである。
 今回でいえばたとえばこんなことがあった。2010年はASIFA50周年の年であり、つまりアヌシー50周年の年でもある。特別プログラムには各年代毎のベスト作品の上映があり、受賞作品集のDVDも、なかなか頑張ったセレクトをしている。映画祭としても記念すべき年を祝おうしているように、表面的には思える。
 しかし記念冊子が問題だった。その分厚さからして、50年の歴史を誇るフェスティバルについて様々な情報や様々なデータ、過去の巨匠がアヌシーを訪れた頃の写真や映画祭の歴史を彩ってきた様々な作品に関する資料が豊富に掲載されていると思ったら間違いだった。ただ単に、50人のアニメーション作家が寄せた「アヌシー50周年おめでとう」記念の絵が載っているだけなのだ。その50人の作家たちも、映画祭に招待されてはいたけれども、何をするかといったらその記念冊子へのサイン会だけ。アヌシー城での展示は、十年刻みにコーナーを分け、その時代の主要な作品の作家の当時の写真や原画、フィルムなど、実に見応えのあるものだった。短編アニメーションが刻んできた歴史の厚み・重みを感じさせてくれるものだった。それなのになぜ、冊子があのようなものになってしまうのか? なぜこの展示の図録を作らないのか?
 そして、基本的にアヌシーの特別プログラム(コンペティション上映以外を指す)はやる気がない。キュレーターの名前も前面に出ず、プログラムはたくさんあるものの、なんというか、これを見せたいのだという気迫や気概、気合が感じられないのだ。
 アヌシーは映画祭というよりも見本市であるように思える。何らかのディレクションが行われるわけでもなく、何かの価値判断を提示するわけでもなく、新しく作られているものをただ見せているだけのような感じがしてしまうのだ。
 それこそが、アヌシーが「行かねばならない」映画祭である理由であり、あまり気の進まない理由でもある。50周年も単なる50年目として平準化される。
 アヌシーはまともに参加することが一番難しい映画祭だ。映画祭側がきちんとディレクションをしてくれないので、まき散らされた新作を、自分なりの基準で、手探りで拾い上げていくしかない。悪名高いアヌシーの観客と共に作品を観ることは時おり苦痛だ。誇張でなく、騒ぐためだけに来ている観客が多いのだ。観客の大部分をすぐに満足させ、しかもその満足を作品の方から丁重に提供するような作品以外を「悪い」作品のように錯覚させてしまう雰囲気がアヌシーにはある。何か未知なるものが現れたとき、脊髄反射以上の熟考が求められる作品が現れたとき、散漫な集中力によってそれをスルーしてしまうのではなく、「これはなんだ?」と少し気に留める力が、アヌシーでは忘れ去られやすい。


大ホールのスクリーン下に無限の数ほど散らばっている紙飛行機がアヌシーの観客について何よりも物語る。

 ネガティブなことばかりを言っていても仕方ないので、アヌシーで出会った素晴らしい作品についても触れておこう。全体的には散漫なれど、出会いの多い場所であることは確かなのだ。  >2 


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