ヌシー国際アニメーション映画祭2010 レポート
土居伸彰
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○短編コンペティションから
 今年の短編コンペティションは、全体的な印象を言えば、「アニメーション」という言葉で一般人がイメージするようなものにしっくりとあてはまるような、「大人しい」作品が多かった気がする。(アヌシーに先だって開催されたザグレブが、アニメーションの概念を拡張しようと試みるかのごとく、実験映画系統の作品も積極的にコンペインさせていたこととどうしても比較してしまう。)学生コンペの方がはるかにバラエティに富み、質はともかくとして自由さがあった。それでもいくつか突出した作品はあった。

・コンペ1から

  
『水泳王ジャンフランソワ』、『ロゴラマ』

 『水泳王ジャンフランソワ』Jean-François (Tom Haugomat, Bruno Mangyoku、デビュー賞受賞)は、無敵の水泳王ジャン・フランソワが幼年時代を回想するという物語。『マロット』や『スキゼン』に連なるような、短編映画としてのアニメーションの列に並べることができようか。そうなるとなぜアニメーションでこのテーマをやるのかという問いは当然ながら出てくる。(この映画は手持ちカメラ的なカメラワークを多用しているから余計にこの問いは強くなる。)この作品の場合、水泳王ジャン・フランソワが他の選手に比べ異常なほどに巨大な身体を持っているということによって、アニメーションならではの表現を行っているということになるだろう。しかし問題は、彼の身体のサイズの大きさが、象徴的なものなのか、それとも実際に大きいのか、そこらへんが非常に掴みがたいということである。身体が大きいから強いということであれば、それは笑いを引き起こすべきものとなるはずだが、しかしこの作品全体に漂うのは、ヒーローの孤独感であり、哀愁である。といったわけで、さすがゴブラン出身、というような映像の質の高さは感じつつも、いまいち乗り切れない。
 アカデミー賞受賞作『
ロゴラマ』Logorama(H5)は出来の悪い「トイストーリー」シリーズなんじゃないだろうか。皆が見知っているロゴ(オモチャ)を使ってうまく遊んでみるところが両者の共通点で、でもそういう観点から比較してみるとピクサーの方が断然よく練っている。ロゴで世界を組み立てたからといって、特に諷刺性があるわけでもなし、かといってエンタテインメントとして観てみてもそれほどレベルは高くない。いくつかのネタは非常にクリティカルで思わず吹き出してしまうのだが、全体とすれば、やりっぱなしというか、どうも未消化に感じられてしまう。

・コンペ2から

  
  
『アングリーマン』、『ロゴラマ』、The Cow Who Wants to Be A HamburgerRed-End And The Seemingly Symbiotic society

 『アングリーマン』Angry Man(アニータ・キリ、審査員特別賞・観客賞受賞)にも『ロゴラマ』と似たような戸惑いを感じた。今年のフェスティバル・シーン最大の話題作のひとつといっても過言ではないこの作品の初見がこのアヌシーだった。まずはとにかくびっくりした。この時代に、これほど技術的に繊細で達者で豊かなアニメーションが観られるなどとはまったく予想していなかったからだ。ノルシュテイン直系の切り絵(一部立体素材も使用)を用いて、家庭内暴力がもたらす家の空気の緊張感がビリビリ伝わってくる前半は、とんでもない作品だと素直に思った。しかし、少年が家を飛び出して、犬と出会うあたりから、あれほどしっかりとしていたリアリティの線が急にぼやけてしまい、今目の前で起こっているのが現実なのか空想なのかがわからなくなってしまう。王様の登場がそれに拍車をかけ、ハッピーエンドとして作られているのか、それともハッピーエンドに見せかけた皮肉なのかの判断が付かないラストでは「?」が最大限に大きくなってしまう。一体これは本当は何を描こうとしたのだろう? 誰かに正しい見方を教えてもらいたい。
 マルコム・サザランドLight Formsでコンペイン。彼の多作ぶりは呆れるほどだけれども、Birdcallsや『フォーミング・ゲーム』といくつかの物語作品以外は、作品全体の完成度の点でいえばあまり高くない。デッサンやスケッチの羅列である印象をいつも受ける。しかし、その個々のシーンの魅力や密度は常に素晴らしい。Light Formsはその最たる例で、ぼんやりと羅列されていく反復アニメーションが、スケールの大きい瞑想的空間を創出している。
 ビル・プリンプトンは個人的に苦手な作家で、新作The Cow Who Wants to Be A Hamburgerもやはりそうだった。生まれたばかりの子牛がハンバーガーの看板を見て、自分もハンバーガーになりたいと憧れを抱き、その夢に向かって努力を重ねるというのが物語の筋なのだが、「牛がハンバーガーになりたがっている」という設定が面白いんじゃないか、というぽっと出の発想だけで一本の作品が出来上がってしまったような印象だ。ホームページの解説を読んで、広告が子供に与える影響の大きさがひとつのテーマであることにようやく気付いた始末である。
 コンペティション2の最大の驚きはRed-End And The Seemingly Symbiotic Society (Robin Noorda, Bethany De Forest)。特に何の説明もないままにとにかくアリたちが角砂糖を運ぶ。一匹の赤い尻をしたアリがそこから逸脱し、その過程で、様々な虫たちの集団がそれぞれ、自分たちの生活をテキパキとこなしていくさまが描かれる。人形の動き自体は「パニック・イン・ザ・ヴィレッジ」を思わせるが、それがヘタウマなスタイルなのか、それとも単にヘタなのか見分けがつかない。しかし、超サイケデリックなジオラマ・セットとあわさって、ひとつの宇宙を作り上げてしまっているのが素晴らしい。

・コンペ3

 
Lipsett's Diaries、『HAND SOAP』

 Je t’aime(押井守)は、GLAYのPV。押井守の作品は比較的好きな方なのだけれども、しかしこれについてはなんとも言いがたい。劇場では何度も失笑が漏れてしまっていたが、このPVでは、押井守のお決まりの偏愛モチーフ(犬、人形……)があまりに前面に押し出されすぎており、いやむしろそれしかないというか、なんというか、おままごと遊びを延々と見せつけられているかのような、そんな印象を与えるからだろう。もしこの作品が依頼作品部門のコンペに入っていたとしたら、もっと自然に受け入れられていただろうに。「作品」として見せられると、違和感は否めない。異様に長いエンドクレジットも含め、悪い意味で印象を残した作品となってしまった。(たくさんのスタッフが関わっているのだから仕方のないことだけれども。)
 Lipsett's Diariesセオドア・ウシェフ、優秀賞受賞)は、カナダの実験映画作家アーサー・リプセットの人生を描く作品。オタワのディレクターでAnimations読者にはお馴染みのクリス・ロビンソンが初めて脚本を書いている。設定としてはリプセットが遺した日記をベースにして物語が展開していくように見えるのだが、エンドクレジットで明かされるように、実際にはリプセットの日記など存在せず、物語は、リプセットの人生や作品にインスパイアされて書かれたものであるようだ。母親の自殺や若くしての映画での成功、最終的な自殺など、物語の筋はリプセットの実人生をなぞっている。しかし細部を眺めてみると、脚本を書いたロビンソンの人生も強く投影されていることがわかる。(『ライアン・ラーキン やせっぽちのバラード』と同様の方法論で、脚本が書かれているということだ。)ウシェフにとっては、この作品は初めて尽くしである。初めて他人の脚本で作品を作り、初めて生のドローイングを用い、そしてこれまでで一番長尺だ。しかしその試みは基本的にすべて成功しているように思える。最も近しい存在であるはずの母親に見向きもされず死なれてしまったことを象徴的な出来事として、リプセットはあらゆるものから疎外される。唯一熱狂を感じることができた映画もまた、彼の人生を救えない。映写機の光が消えれば、映画館は真っ暗の闇に包まれる。それと同様に、リプセットの人生もまた、映画という束の間の光が消えたとき、闇へと落ちる。ハビエア・ドーランによるナレーションが全面的に展開し、観客はリプセットの一人称の視点で世界を見つめることになる。それだけに、次第に錯乱の度合いを増していく彼の世界が唖然とするほどに胸に突き刺さってくる。
 『HAND SOAP』(大山慶)については既に何度も書いているので作品自体については割愛するが、アヌシーのメイン会場では、あまり適切に観られていなかった印象があった。(危ない言い方であることは承知しつつも。)基本的に、アヌシーの観客は笑えるところを探しに来ている感じなのだが、この作品にはそんな観客たちのセンサーに反応するいくつかのシーンがあったようで、そういったところで笑いが起きていた。しかし、その笑いも、作品全体の流れを追ったうえでの笑いであるというよりかは、オートマティックに即物的に反応しているような、そんな感じだった。

・コンペ4

 
Old FangsNo Sleep Won't Kill You

 Old FangsAdrien Merigeau, Alan Holly)は今年のアヌシー一番の掘り出し物だった。子供の頃からずっと会っていない父親に会いにいくオオカミの話。これもまた『ジャンフランソワ』同様に「映画」としての短編アニメーションのアプローチを取っている。ときおり実写のカットが紛れ込むなか(これも『ジャンフランソワ』と同じだ)、青年オオカミとその友達の動物たちが、ゆっくり、ゆっくりと、父親の暮らす家のある森の奥へと歩みを進めていく。その過程で、オオカミの脳裏には、小さい頃の家族がまだ幸せだったときの記憶が蘇っていく。幸福だった過去の記憶と現在のギャップがもたらす悲しみを、この作品からはイヤと言うほど味わわされる。
 No Sleep Won't Kill You (Marko Meštrović)は、ザグレブ・フィルムからやってきた好作品。扱うテーマ自体は、夢と現実の入り乱れていくという、ある意味で定番なのだが、その扱う手つきがユニークだ。何がユニークなのかといえば、異様に男臭く、マッチョな感じがするのである。ドルビー・サラウンドをゴージャスに活用した音構築も非常に見事。
 『ミス・リマーカブルの就活』Miss Remarkable & Her Career(ヨアンナ・ルービン・ドランゲル)Joanna Rubin Drangerは同名コミックのアニメーション化。大学を出た女性がキャリアを追い求めすぎて訳が分からなくなってしまっていく過程と、そこからの復活を、ユーモアを交えて語っていく。長いが悪くない。良い意味で「普通の」作品を観ることができて少しホッとする。

・コンペ5

 
『PLAYGOROUND』、『愛と剽窃』

 『PLAYGROUND』(水江未来)は作者待望のアヌシー初コンペイン作品。アヌシーに良いところがあるとすれば、メイン会場の大ホールの上映設備がきちんとしているということで、個人的にも、ここまで十全なかたちで上映される水江作品を観たのは初めてで堪能。作品自体は、最初と最後に登場する細胞顔キャラクターのシーンとその近辺で、『DEVOUR DINNER』にあったような、無理やりのまとめ感を感じたのだけれども、しかしその両者に挟まれた中盤は、インプロ的な変容と運動が非常に心地よい。非常に自然体で、この次に2010年の隠れ名作『MODERN』が誕生したのがうなづける。
 Who’s Bleeding (Jessica Lauren)は愛想の悪い可愛い動物キャラたちによる反復的な変な踊りとちょっとした残酷さが楽しく、印象に残った。
 今年のアヌシーのトリは、アンドレアス・ヒュカーデから届いたまさかのノンナラティブ作品『愛と剽窃』Love and Theft(音楽賞受賞)。ヒュカーデの例のマルかいてチョンのキャラクターの顔から歴史上有名なキャラクターたちのメタモルフォーゼが次々と繰り出されていく第一部、音楽のロック調への変容とともに歪んだ融合と変異が始まる葛藤の第二部、その葛藤が激化し宇宙的爆発を起こす第三部。第三部にはヒュカーデの過去作品のキャラクターが次々と登場し、ボブ・ディランの同名曲の歌詞を引用した作品解説も含め、この作品が、影響→咀嚼→表現というヒュカーデの創造プロセスを辿るものであることが判明する。常に痛ましい成長譚を語りつづけてきたヒュカーデなわけだから、この新作の展開は意外にも思えるが、しかしよく考えてみれば、ロカビリーやロックなどへの自らの愛を作品で惜しみなくさらけ出していた彼なのだから、実に自然であるとも言える。アニメーションの「正史」のみならず、短編史をもふまえて歴史を凝縮したこの作品、グランプリ受賞でアヌシーという世界最古のアニメーション映画祭の50周年を祝うのにはもってこいの作品だと思ったのだけれども、伝え聞くところによれば、他人のキャラクターを使っていることから評価が低くなったらしい。オリジナル幻想がこの世界にはまだ生きているということか。  >3




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