山村
ソヴィエト時代に『誕生日』のような作品が作られたのは驚くべきことのように思えます。とても実験的ですが。
ポルドマ
あの作品が作られたのはソヴィエト時代の終わりです。なので、状況は10年前や5年前に比べてだいぶ良くなっていました。モスクワのもつ政治的圧力もかなり軽くなっていました。プリートはソヴィエト時代に『草上の朝食』(1988)を作りました。もし5年前に作っていたなら、誰も見ることができなかったでしょうね。政治的な理由でね。今では基本的に、お金を調達できさえすれば、作りたいものが作れます。今、ヨーニスフィルム・スタジオには従業員は25人います。監督は5人いて、その全員がオーナーです。プリート・パルン、ヘイキ・エルニッツ、私、マッティ・キュット、ウロ・ピッコフ。25人の給料を払うために、お金を調達しなければなりません。アニメーターや清書係、中割り係……
荒井
カメラマンにも・・・
ポルドマ
いえ、私たちのスタジオではカメラは使いません。コンピュータでスキャンします。5、6人がその仕事をしています。ともかく、お金が必要になります。良いアニメーターになることは簡単なことではなく、日本ではどうか知りませんが、エストニアでは良いアニメーターはとても少ない。他の人たちはそれほど良いアニメーターではないので、私たちは良いアニメーターをキープしないといけません。だから、給料を払わなければならない。仕事したのに給料がもらえないとなれば、他の仕事に移るしかないでしょう。良いアニメーターになるにはたくさんの時間をかけて学ばなければなりません。ドローイングを描くのにいつでも注意深くなくてはならず、とても辛い仕事です。
荒井
アニメーションの学校や大学でアニメートのことを習うことはできるのですか。
ポルドマ
いいえ。
荒井
ではスタジオで学ばねばならないということですね。あなたのように。
ポルドマ
そうです。ソヴィエト時代はソ連に行って教育を受けることもできましたし、向こうからエストニアに来て教えにきたりもしていました。ですが、たいていの場合は、働いている間に学ばねばなりませんでした。良いアニメーターになるためには、自分で学んでいくしかないのです。作品をたくさん見て、感覚を養って、体がどう動くのか、どのように動きうるのかを考えなければなりません。待っているだけでは誰も教えてくれませんから。自分で自分の教師にならねばなりません。
土居
最後に、最近の活動について教えてください。
ポルドマ
ついこの前、私たちはとても興味深い作品を完成させました。7人の作家がそれぞれ2分を与えられ、好きなエストニアの詩を選んで、作品を作りました。私自身は、アニメーションだけでなく演劇用の脚本も書いていますし、時には出演もしています。今は、エストニアで最大の劇場のひとつで上演されるミュージカル作品の脚本を依頼されていて執筆中です。それに、新しいロッテ・シリーズの作品にも取り掛かっています。映画の仕事についていえば、それが私が今東京にいる理由ですけれども、柔道についての子供向けの作品を制作中です。
荒井
あなたが監督ですか。
ポルドマ
はい。柔道を始めると、最初に白帯がもらえますね。それから、黄色、だいだい、緑と進みますね。私たちは、その三つの色の帯についての三本の作品を作っています。教育用映画のようなものですが、とてもユーモアに溢れていて、実写のシークエンスがアニメーションのシークエンスと組み合わせます。アニメーションを使うと、子供は簡単に理解できますから。日本で私たちは日本の子供たちの練習や大会を撮影します。柔道の有名な場所[講道館]も撮影しました。嘉納[治五郎]が生まれた場所も訪ねました。エストニアに帰ったら、撮影したものをチェックして、アニメーションの部分を加えて合成します。そういったことをしていますよ。
インタビューを受けられてとても光栄です。私は日本のアニメーションが好きですから。とてもオリジナルです。山村さんの作品もいつも楽しんでいますし、日本の作品はとても変わっていて楽しめます。長編もそうですし、人形アニメーションの川本[喜八郎]の作品も好きです。川本はシュトゥットゥガルトの映画祭のプログラムで見ました。彼の人形はすばらしいもので、まさに芸術です。

大山慶
ちょっといいですか。娘さんが『誕生日』を一度しか見たことないと言っていましたが、なんでですかね。
ポルドマ
彼女が絵を描いたのはとても幼いときです。それに、エストニアでは問題があって、上映が終わってしまえば誰もその後でその作品を見ることができないのです。なぜなら、映画館はアニメーションには閉ざされていて、長編作品にしか開かれていません。インディペンデントで作られるアニメーションは短編ですからね。テレビでは新しい作品しか流しません。古い作品は、10年に一度くらいしか放送されません。今ではDVDがありますが。
荒井
ならこれからは見るチャンスがありますね。
ポルドマ
いえ、『誕生日』はまだDVDになっていません。家にVHSテープがあるだけです。
大山慶
彼女が最初に『誕生日』を見たとき、どんな反応でしたか。
ポルドマ
覚えていません。これが正直な答えです(笑)。ご存知のように、3歳か4歳くらいの子供というのは自分の両親が何をやっている人なのかというのは理解できませんしね。
大山
あの作品を見たとき、絵を描いたのはやんちゃな男の子だと思ったのですが、今日お会いしたらとてもおしとやかな女の方で驚きました。
ポルドマ
それが人生というものです(笑)。子供たちは自分の世界に暮らしています。ときどきそこから出てきて、私たちに話しかけてはくれますが、またすぐに自分の世界に戻ります。子供の世界については、私たちは彼らの動きしか見ることができず、彼らの内面は見ることができません。それに加え、私たちは自分が小さな子供だったころをおぼえていません。私もほんの少しのことしかおぼえていません。
荒井
子供の世界というものは私たちのものと違うと思いますか。
ポルドマ
そう思います。この話題については、朝まででも話せますね。小さな子供たちは神さまに守られているという人もいますね。本当かどうかはわかりませんけど。彼らは楽器を演奏したり物語を書いたり、いろいろなことをします。すると突然、そのなかのどれが自分に向いたものなのかを理解するようになり、それをやり続けるようになります。私はそんな彼らが自分の世界から無事に出てくるまでを見守ってあげたいと思いますね。もちろん、それはとても難しい。子供の世界のことは覚えていないわけですから。でも、やれることはきっとあるはずです。
2007年5月1日 品川にて
ヤンノ・ポルドマ Janno P?ldma
1950年、エストニアのタリン生まれ。1973年、エストニアの映画スタジオであるタリンフィルム(ドローイング・アニメーション部門のヨーニスフィルム)でアシスタント・カメラマンとして勤務をはじめる。その後カメラマンとなり、レイン・ラーマットやプリート・パルンなどの作品の撮影を手がける。それと並行して、人形劇のためなどに戯曲を書きはじめ、アニメーションや劇映画の脚本も執筆。現在に至るまで脚本家としても活躍している。初監督は、人形アニメーション部門であるヌクフィルムでの1991年の"Brothers and Sisters"。翌年の"Otto's Life"を経てヨーニスフィルムに戻り、『誕生日』(1994)、『1895』(1995、プリート・パルンと共同監督)、『愛の可能性について』(1999)を監督する。ヘイッキ・エルニッツと共同監督での子供向けの作品も手がけていて、そのなかでも、2000年から製作のスタートした犬のロッテのシリーズは、各種キャラクター・グッズも発売されるなど、エストニアで広く愛されている。
『愛の可能性について』はDVD「国際アートアニメーションインデックス 山村浩二・知られざるアニメーションVol.2」(TDKコア)に収録されている。DVD情報はこちら。
>山村浩二・知られざるアニメーションVol.2[Amazon]
Lotte Journey South(2000)
フィルモグラフィー(監督作品のみ)
1991 Brothers and Sisters
1992 Otto's Life
1994 『誕生日』Birthday
1995 『1895』(プリート・パルンと共同監督)
1997 Tom & Fluffy(ヘイッキ・エルニッツと共同監督)
1999 『愛の可能性について』On the Possibility of Love
2000 Lotte Journey to South
2001 Ladybirds' Christmas
2002 Concept for a Carrot Pie
2005 Lotte From Gadgetville(以上四作はヘイッキ・エルニッツと共同監督)
>EESTI JOONISFILM
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