イアン・ラーキンと『ライアン』
Animations座談会2(後編) < 1 2 3 >

イアン・ラーキンは本当に素晴らしい作家なのか?

和田
ライアン・ラーキンは今日はじめてみたんですけど、これを座談会で取り上げる理由を詳しくききたいんですけど……

土居
そんなに重要じゃないと思ったんですか?

和田
そうですね。それは僕が気づいてないだけやと思うんですけど、理由が知りたい。

土居
全然ピンとこなかったですか?

山村
最初のフィルム[『シランクス』]は良いと言っていたよね。


Syranx (1965) - Ryan Larkin ? NFB



和田
もちろん最後の『ストリート・ミュージック』もすごく気持ちいいし、時代っていうのもあると思うんですけど。「知りたい」って感じです。批判というよりも。

山村
その理由はみんなで話していくうちにわかってくると思うので……

大山
ライアン・ラーキンの作品は、間違いなくアニメーションでしか体験できない感動がありますよね。文学でも実写映画でも一枚の絵画でも、まずこの気持ちよさとか美しさはないですよね。自分が作品を制作するうえで、そのへんをすごく気をつけなきゃと思いながら、まだ実現できていないところなので。ほんとに、そういうことを今すごく考えているんですよ。毎日毎日。で、やっぱりこういうのをみると、「ああ、アニメーションだなあ……」って(一同笑)。こういうのこそアニメーションだなあって思いますね。

イラン
少なくとも、同じ時代の作品の中で、これほどまでに純粋にアニメーション表現を追求した作品はなくて、一つの王道、道しるべとして考えていい作品だと思うんですよね。時代背景を遠くこえて。ヒッピーがどうとかはどうでもいい話で。そんなことがなくとも、伝わるものだと思いますね。

土居
まったくその通りだと思いますね。

中田
大山さんや和田さんがなんとなく感じている部分を私も疑問として感じていて、短編アニメーションという分野ですごく重要な作品だということはわかるんですけど、これをみても心からわくわくしたことがあるわけではなくて、最初に学校でみたときも「ふーん」って感じで。今はだいぶアニメーションについての理解がすすみつつありますけど……「きっとこれは素晴しい作品だろう」とは思うんですけど。

山村
想像のレベルだね(笑)。

中田
短編アニメーションってなんなんだろう、ってことをいつも思うんです。これをみると。……これをみるとほんとにワクワクするんですか?(一同笑)

土居
しますよ!泣いちゃうもん。

中田
だから、[ワクワク]しない私はなんだろう、といつも思うんです。

山村
知恵さんはワクワクしますか。

荒井
はい。これをみるのは何回目かなんですけど、ちょっと味が薄い、でも衒いがないってのがこの人の作品なんだと思いました。[ラーキンは]純粋に観察するのが好きで、絵も上手で、「絵が描きたい」「動きを見せたい」っていう純粋さや喜びが感じられて、とっても私はワクワクしました。ただ、音楽とシンクロをさせたいとかそういうのが……『ストリート・ミュージック』は、外で演奏しているミュージシャンのシーンから始まって、音楽を聴く喜びってのを絵で表現していて、音はついているけれども、音をどうしようとか考えないで……自分だったら、「音と合わせたらもっと面白かろう」と思いますが、そういう操作をしていないというところが、薄味だと感じてしまうけれども、余計にこの人の純粋さの反映なのだなあと思います。

ーキン作品の純粋さ

土居
なんて純粋なのだろう、ということで、さっき『ストリート・ミュージック』と[フィッシンガーの]『モーション・ペインティングNo.1』で泣いてしまうかという話をしたのですが、それはおそらく純粋だからなのであって、フィッシンガーもそれまでの作品は音楽にシンクロさせるっていう目的があって、観念的なアイディアやコンセプトがあったんですけれども、『モーション・ペインティングNo.1』の場合はそういうことを考えないで、とにかく感覚的に映像を作っていくというところがある。『ストリート・ミュージック』というのも、コンセプトや観念的なものがまったくなくて、単純に自分のみたものを自分の中で再解釈して、まさに「クリエイティブであること」を続けていっている。キャラクターが必要とか同一性が存在するとかそういう固定観念から逃れて、「人間は常にクリエイティブでありつづけることができるんだ!」ということを、『ストリート・ミュージック』をみているといつも感じてしまって。だから泣いてしまうんだと思うんです。

イラン
音楽との関係という点で、観念的ではないところで、「音楽と映像を融合させたい」という狙いを感じるんですけど。一致させるとか合わせるとかいうことではなくて、意図的なことを超えて、映像と音の関係を純粋に融合させて提示する。そこに感動するかどうか、ワクワクするかどうか。感覚として非常に刺激的なものになっている気がします。

山村
たぶんこれはすごく精神の部分なんだと思います。一致させるとか融合させるとか。音楽もアニメーションも感性から発せられるところがあって、『ストリート・ミュージック』自身もその場のライブ感からでてくる感情の表現であるという部分が、ライアンの作り方という部分とすごく一致しているから、特殊な位置を与えられるフィルムなんだなと。その純粋さという部分で。さっき意見を聞いてて、評論家二人はすごく感動してて、ものづくりしている人があまりピンとこないというところがすごく面白いと思った。クリエイターとしては、やってることの技術的な部分がみえちゃうのね。「そんな特別なことやってるか?誰でもできそうじゃん、学生でもこれくらい絵描けるやついるよ」って思っちゃって。それ以上付加しているものが何も見えてこないフィルム。作り手の見方からすると。短編として構成させる意識があるわけでもないし、特別な表現をしているところもまったくないんだよね。だから作り手がみちゃうと、逆に見えてこないのかもしれない。

土居
「ちょっとラフすぎるんじゃない?」みたいな。

山村
そう、そういうとこばっかり目についちゃうのかなあと。

イラン
違う意味での平凡さですね。

山村
そう、技術的な点からみると平凡で、ある種の練習にしかみえないかも、というところはわかるんだよね。

和田
土居くんとイランさんは、一回目から感動したんですか。

土居
『ウォーキング』は一回目にはあまりピンとこなくて、たぶんそれは具象の要素が残っているからだと思うんですけど、『ストリート・ミュージック』は完全に一発でやられてしまって、その後に『ウォーキング』を見直したらすごいと思えて、それからはどちらも何回みても、もう……感動しちゃいますね。

イラン
ランドレスの作品の平凡さっていうのは、世に溢れているような平凡さですよ。逆にこちらの、作り手からみての平凡さっていうのは、まあ、確かに単純なのだけれども、このあと、この手の作品のなかで、これほどまでの作品はない気がする。

山村
まったくないですよ。

イラン
一見平凡にみえるかもしれないけれど、そうではないんですよ。『ウォーキング』も、みるたびに、こんな単純なことはないだろうに、先ほどの繰り返しになるんだけども、省略された描き方でも、歩き方の癖などが自然にうまい具合にできている。自由な創作としての遊び心満載。

土居
絶対に彼しかできないようなことなんですよね。ちょっと今思い出したんですけど、宮崎駿が「走る」ってことについて「アニメーターたちはなんでみな様式から入るんだよ」って言っていて。それとは逆。宮崎駿は商業的なアニメーションってものを堕落したものとして考えているところがあって、押井守もそうですけど、「動いているだけですごいのが一番なんだってのはわかってるんだけど、俺らはこっちでやる」、ってある意味で凡庸な道をいくみたいなことを言っているのをまた思い出したり。

山村
また凡人の話(笑)。

土居
誰もこの人をなぞれないって意味で、僕はラーキンを天才だと言っているんですよ。

山村

「どこがすごいのか」っている和田くんの問いについてだけど、やっぱこれはできないんだよね。和田くんはちょっと天才の要素入っているからできるかもしれないけど(笑)。

土居
僕もそう思いますけど(笑)。

山村
ここまで自由に自分の感性だけでやるってことは、いろんなことを知りすぎてしまうと勇気が必要な行為で。アニメーションってのはやはり技術が必要だから。アニメーションであることの純粋さが形にできているところが、ほんとにこの作家しかないんだよね。

大山
想像するのは難しいですけど、例えばこれが未発表作品だとして、若手が今の時代にこれと同じものをつくったら、評価されるものなのですかね。

山村
それは別の問題が入ってきて、やはり評価する側の目から見ると、誰かのやっていることをなぞってるっていうのより、その人しかなしえなかったその人らしいものがある方が評価されるってことがある。マクラレンと同じようなことをやる人ってのは未だにいる。シネカリ[フィルムに直接傷を付けてドローイングする手法]とか。その場合マクラレンと同じような音と絵の関係を超えているとか、新しいものがないと評価はされにくいんだよね、完成度があったとしても。やっぱりその時代ってものもあるし。僕も、これ[ラーキン作品]と、『イエロー・サブマリン』の「ルーシー・イン・ザ・スカイ[・ウィズ・ダイアモンド]」のシークエンスが、ただただ感性を丸裸に出しているという部分があるアニメーションだと思って。僕もやりたいと思うんだけどやれないんだよね。だから自分のアプローチの仕方で、物語なりいろんな要素をつけることでやるしかないんだけど。

土居
うらやましいとか思ったりするんですか。

山村
うらやましいというか、できないんだろうな、と。でもその、僕は彼とは違う方法で、動くこと自身で、映像自体で感動できるものをつくりたいってのがあるから。ただそれは方法論が違うだけで。>3

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