イアン・ラーキンと『ライアン』
Animations座談会2(前編) < 1 2 3 >


ニメーションにおいてコンピュータの果たす将来的な可能性

大山
でも、もう3Dのコンピュータの速度もどんどん速くなるし、計算も速くなって、容量も大きくなって、本当にかなり精密なシミュレーションが多分あっという間に出来る様になるじゃないですか。本当に毛穴とかまであっと言う間に計算出来るぐらいの。そうなってきた時にクレイアニメーションをここでこう動かす様にコンピュータ上で動かすっていうのが当然の様に出来ると思うんですけど。

イラン
例えば
[ティム・バートンの]コープスブライド』(2005/
DVD情報はこちら)。『コープスブライド』はコンピュータですよ。

大山
あ、そうなんですか?

イラン
人形を動かして、できた映像を更にコンピュータで加工して、そういった物々しさを消す。非常にきれいさっぱりになってるんです。完全に存在感を消している。

大山
『コープスブライド』を観た時に、「みんな手でやってるはずなのになんでこんなにCG臭いんだろう」と思って、だったらもう3Dでやっちゃえばっていう感想を抱いたんですね。

イラン
それを目指してるんだね。

大山
だから当然そういう、例えばアナログっぽいぎこちなさの心地よさみたいなものも当然頭にいれつつ、コンピューターでちょっとずつズレをわざと入れたものも当然出て来るだろうし、その辺ってどうなんですかね?

山村
その辺はさっきも言った様に、一コマずつでそれをシミュレーションしてるんであれば、それはアニメーションだと思う。レンダリングはCGであっても。

大山
でも、そういう風に考えるとすごく頼もしい。例えば、すごい膨大なスタジオが必要な人形アニメーションの構想があっても実現出来ないっていうケースが多分いっぱいあって。でも、貧乏な学生とか、働きながら狭い部屋に住んでる人の場合、そういうのまでノートパソコン一個ですごい傑作が出来てくるようなもの、今後出来てくるんじゃないのかな。もしくは、本当にもう写真なのかCGなのか見分けがつかないくらいのものを個人でつくって、それをアニメーションで……っていうぐらいのパソコンがあっという間に出来るような気がするんですけど、そんなことないですか。ちょっと前まで、もの凄いマシンが必要だったのがノートパソコンで出来るような、ほんの数年で出来る様になっちゃっているのを見ると、ある程度の所まで何年か後に到達しちゃって、すごいマシンがないとすごいリアルな物が作れないっていうのがなくなって……アニメーションでの話ですが

土居
大山さんの作り方
[コンピュータ上でのドローイング]自体が20年前だったらないような作り方じゃないですか。でもやってる事自体は昔ながらのやり方の延長線上にあるじゃないですか。単に新しいやり方が出てきたって言うだけで、根本にある物の本質は変わらないとも思うのですが。

山村
3DCGで人形アニメーションのクオリティーの高いもの、っていうレベルの話だったら、逆に無理だなって僕は思うけどね。個人レベルですごいパソコンが普及しても。僕はCGはクリエーションじゃないって言ったけど、CGでクリエーションに近い事をやるとしたら、プログラマーにならなきゃいけない。プログラムを自分で作り出すっていう事はCGの中でも一つのクリエーションだし、クリエイターと同じ価値があるものだと思う。でもあくまでプログラムの中でやってる部分ではずっといつまでたってもオペレーターでしかないから、CGの中でも創造っていう所でもっと違うやり方をしない限り、どんなに高速なコンピュータが出ようとも、「リアルな表現が」といってしまう事でひとつの価値基準しか満たさない……

大山
リアルっていっても、人間を真似るというよりは……例えばクエイ兄弟の作っているような人形をパソコン上でたぶん作れますよね。

土居
たぶん、その、「〜のような人形」って言う発想自体が…

大山
そうなんですけど、そういう事が出来る技術があるってことは…

山村
それは違うんだよ。例えばクエイ兄弟の場合は、廃品からインスパイアされて作る。物から感じ取って作る訳だけど、まっさらなコンピュータのプログラム中で同じ発想が出来るかっていったらそれは違う。

イラン
やっぱりさっきの話で、どんなに高度なレベルになってても、あくまでも現物のシミュレーションになってしまう。

山村
クエイっぽいってものになってしまう。別にクエイじゃなくても「〜っぽい」もの。発想自体というか、アプローチの仕方を変えない限りは別に道具のレベルの高さは多少助けになってもそれは根本は変わるものじゃない。

もしろいCGアニメーションとは?

山村
今まで見たCGアニメーションで本当に面白いと思ったもう一つの作品で、もうひとつ今観ても面白いなと思うCGは
[ピーター・フォルデスの]『ハンガー』(1974)なんだよね。NFBの。

土居
ああピーター・フォルデスのむにょむにょ〜んとした最初のCGアニメーション。あれ面白いですよね。


Hunger (1974) - Peter Foldès. © NFB
ピーター・フォルデスの『ハンガー』は、NFBのサイトで一部を観ることができる。
>Hunger{NFB]

山村
CGの最初のアニメーションで、もの凄く膨大なでっかいコンピュータで、今考えるとめちゃめちゃ遅い速度で、色々な技術も何もない所でやったのもが未だに面白くて、どんなにレンダリングスピードや色々な技術が進んでも面白いCGが出て来ないっていうのは大問題で、それはアプローチの仕方の問題で、たまたまあの作品は、取り上げる素材とCGっていうものがうまく出会って良いふうに出来たんだと思うけど。

土居
『ハンガー』って何かCGの力を持て余してるみたいな、なんて言うんですかその、暴れ馬に乗ってるみたいな、そういうような感じがありますよね。それが今の3DCGだとそういう感じが全くなくて、ただ単に枠の中に納めるって感じ…

山村
ダイナミズムみたいなものが出てこない。

土居
はい。あるメディアが最初に登場した時っていうのはやっぱりそういうメディアの意図しない部分でそのメディアの力を押さえきれずに出てきてしまう部分っていうのがあって、たぶんそれが実験映画とかで達成されて。

山村
道具としてコンピュータをぼくらが想像もつかないようなやり方で使って作品をつくってくるアーティストは出て来る可能性はあると思うんだけど、必ずしも普及とイコールのものではない気がする。

ンピュータならではの表現とは?

大山
僕の大学の後輩なんかはもう中学生くらいの頃から3Dを趣味でやってたりしていて……これからはパソコンを絵の具感覚で当たり前の様に小さい頃からいじってる子がどんどん出て来ると思うんで。僕たちはコンピュータをかなり特別視してしまうけど、これからの人は、粘土をいじるのと同じ様な感覚で、自由な発想で向き合える世代なんじゃないかな、って感じるんですよね。油絵でしか出ない質感や粘土でしか出ない質感があるっていうのと同じ様に、コンピュータでしか作れないような、コンピュータでやる必然性があるって思えるような、そんな面白い作品が出て来ないのかな?

土居
それはたぶんないと思います。

大山
出てくるっていうか、出て…

荒井
欲しくない(一同笑)。

大山
出て来ると思います(一同笑)。

土居
僕が疑問なのは、コンピュータ自体の質感というか、それ自体が持ってるようなメディア性――そのテープだったらザーっていう音が入っちゃたりだとか、フィルムだったら粒子とかのざらざらした感じが入っちゃったりだとか――そういう固有の質感っていうものをコンピュータは果たして持ってるのかな、っていうことなんですけど。

大山
質感っていうか、コンピュータをいじったから出てきた発想とか、そういうのって絶対出て来ると思うんですよね。粘土をいじっててもこういう造形の発想は出て来なかったっていうものだとか。

土居
そういうのはもういっぱい溢れてるじゃないですか。

大山
そういう物でちゃんと面白いもの。やっぱりまだすごく成長段階のものだから、「新しいもの」とか「よりリアルなもの」とか、そういう方向がまだ止まってない感じがするからそれが一段落したら。

山村
それは一つアートの価値観の部分での変化とか、それもプラスされてこないと。でも、そういうなかで出て来るものってやっぱりメディアアートの領域だと思う。僕らが考えてるようなアニメーションの正統性っていうところでのマスターピースになりうるものっていうものが出て来る可能性が高くなってるかというとそうは感じない。より低くなってると思うし、危険性の方が大きいと思う。道具として子どもの頃から慣れ親しんでいたとしても、
[コンピュータという]メディアの特性として僕は難しいと思う。
CGの話はもういいかな?>3

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