テルE(1992)
Hotel E
土居
次は『ホテルE』です。恐ろしい作品ですね。
山村
すごいよね、本当に。
土居
観る回数が増えるほど、どんどん笑えなくなってきました。和田さんはこの作品が怖いらしいですね。
和田
いつも怖い。
土居
なんでですか。
山村
最初にいつ観たんだっけ。
和田
僕はイメージフォーラムフェスティバルで。
山村
あー、一回パルン特集やってたよね。
和田
そのときは「長いな」と。今も「長い」と思うんですけど(笑)。でも、土居くんが言ったみたいに怖いと思った。
山村
俺も初見はめちゃくちゃ長いと思って、7、8回目くらいかな、だんだんパルンのペースに慣れると、長くないかな、という気もしてきたかな。でも一般的にはやや長いと思われちゃうかも。展開がわかってた上でディテールを観ようとするから長くないのかもしれないけど、ディテールが多すぎるのかな……
中田
別にそんなに気にならなかったですけど。同じようなことが何度も繰り返されることが必要なのかな、って。
山村
たぶん納得させるためにあの長さが必要なんだよね。
土居
何回観てもディテールが全部追いきれなくて、今もまだ自分のなかで消化しきれてないディテールがあって……でも、ちゃんと考えれば、全部裏付けがあっておさまるところにおさまるんでしょうね。
グェン
難解さというのは象徴性によるもので、結局、観ていていつも思うんだけど、間違いなく意図があることが感じられるんだけど、それを把握するのに、どれだけ画面の分析をしなければならないという印象があるんですよね。可能だし必要で、それなしに語れない。表現と内容を分けて考えると、内容を分析しないかぎり、内容と表現のマッチについて何も言えないのですよね。そういう意味で、難しい。
土居
僕が最初に観たときは、まったく何も考えられずにずーっと「なんだこれ……」と何度も思いながら観てしまいましたね。
山村
意図してやっているんだけど、でもその意図をはぐらかすために次のカットが用意されてるっていう。そこがすごいなと思う。これも単純に言うと東と西を対比させる批評に落ちちゃう話が、ずーっとはぐらかしつづけている。意味をもう一つ乗り越えようとしている感じがして。
土居
結局プロローグで終わっちゃうんですよね。
山村
最初イントロが二つあって、プロローグってでて、あとはそのままなんだよね。
土居
でもそれはあえてやっているんですよね。今は「アメリカン・ドリーム」(プロローグのタイトル)を夢見ている段階、その後はどうなるんでしょうね、みたいな。でも一番最初にイントロがあって、それもプロローグと同じ構造で、昔から同じような構造が繰り返されてきたんですよ、みたいなことも語っている。そういうところからすると、和田さんの作品も、普遍的にある社会の構造みたいなものを作品に入れてますよね。……意識的にかどうかはわからないですけど(笑)。
和田
(薄く笑いながらうなずく)
土居
(笑)そういう点でシンクロしているのかなと。
和田
山村さんのも、イゴール(・コヴァリョフ)さんのも、意味がわからなかなったり、内容が理解できないっていう一方で、ある意味、やってることが感覚的にわかるっていうところがあるんですけど、パルンさんの場合は、ついていけてない自分がいる。わかるんやけど、なんかこう、なんでこんなシーンがあるの、とか。だからすごい悔しい。どう考えてやってるんやろって。
グェン
感覚だけじゃ語れないというか、すごく構築してるんですよね。
山村
すごくね。(ベートーヴェンの)第九のイントロがずーっとずーっとずーーっと使われてて、最後に鳴るんだけど、まさにイントロだけで終わっているっていう。永遠に。
土居
難しいのは、この作品を語るにはどうしたらいいかっていえば、感覚的なところからスタートしたとしても、図式的なところからスタートしたとしても、どちらから行っても捉えられなくて、両方ががっちり噛み合ないと作品をきっちりと捉えることが不可能。
山村
僕が上海に行って、パルンは『草上の朝食』で僕が『水棲』で入選したとき、パルンさんと初めて会ったのかな。そのときに「新しいアイディアを思いついた」って言ってたんだよね。それがこれだった。だからたぶん中国のホテルで思いついたんじゃないかな。田中角栄も泊まったっていうすごい豪華なホテルだったんだけど。
グェン
それは何年ですか。
山村
89年だと思う。
和田
どこを思いついたんですかね。
山村
わかんない。とにかく次のアイディアを思いついたって。で、ひょんなときに何年後かに日本で初上映したときに……
グェン
上海は年末ですか。
山村
秋頃かな。天安門の前ですね。まさに社会主義がぎりぎり生きていたときにこのアイディアを思いついたってのがすごい。
土居
じゃあ単にエストニア独立と結びつけて語ってはいけないんですね。
山村
エストニア独立とかベルリンの壁とかだけで語れないって考えないといけない。そこがすごいよね。すごいよねで終わっちゃいけないんだけど(笑)。
土居
たぶん『草上の朝食』とこれと『1895』ってパルン本人の物語でもあって、自分が置かれた状況のなかで、作るというのはどういうことか、っていう話になると思うんですよね。『ホテルE』の文字を鼻につけている東側の人にはたぶんパルンその人の投影ってのがすごいされていて。
山村
あの鼻にAをつけている人は、これができあがる前にパルンがスケッチで描いていて。91年にフィンランドで銅版画の作品をみたことがあって、その次の年に『ホテルE』を観て、「ああ、あれが使われている」って。たぶんそこらへんは感覚でやってると思うんだよね。あのキャラクターのアイディアは。でもそういうものを映画にもう一回使っているっていうのがわかって。
土居
最初は思いつきなんですよね。
山村
うん。でもそのドローイングでの遊びとか感覚で思いついたりしているようなものを超えていることがすごい。そういうものを入れ込みつつ、違うものを構築しているから。『おとぎ話』は絵あそびのレベルに留まっているんだよね。『草上の朝食』と『ホテルE』だと、もう一段階次に行っているというのかな。
土居
考えるだけでは作れない作品。
山村
考えても作れないよね。
土居
結果的に一貫した論理みたいなものが通っている、みたいな感じで。
山村
だからあとでイントロをつけたような気もするんだよね。わかんないけど。最初のTの字のキャラクターも。一番の象徴である。
土居
僕はまだすべてのディテールを消化しきれずにいるんですけど、あれはキリストのことなんですかね。
山村
キリストだけなのかな。
グェン
キリストだけじゃないと思いますね。イントロダクションの二つの出会いを描いているじゃないですか。プロローグの二つの世界は、それぞれイントロの1と2に属するわけですよね。1の「裏切り者の伝説」は白黒で、2の「救済の伝説」っていうのはアメリカっていう。そういう対比をつけていることからすると、あとから付けたのかもしれないですけど、決してキリスト教的な意味だけではないんですよね。例えばソ連のまさに裏切り者の歴史、恐怖。まさにそんなものじゃないですか。またもう一方で、なにもかも救済されるというアメリカ的なもの。アメリカン・ドリームとして描かれるかぎりでは素晴らしいもの、というふうにつながっていくんですよね。
山村
だからイントロの1は音楽の付け方からしても西洋の歴史ではないもんね。もっと中央アジアのような印象。もしかしたら、僕らがしらない独自のストーリーがあるのかもしれない。
土居
イントロの2の方で足だけ出てくる十字架の影をした人というのはなんなんですかね。
グェン
もちろんキリスト教的なものも入っていますよね。アメリカ社会に同じようにキリスト教的な背景というのが。
土居
なかなか掴みにくくて。
グェン
面白いくらいに妙にでたらめというのもあるんだよね。強烈なパロディー性があるんですよね。
山村
ほんとにこれはパロディーですよね。最後にカートゥーンで終わるし。
土居
なんでカートゥーンで終わるんですかね。なんだかすごく怖いんですよ、あれが。
山村
これはある意味自己批判も含めてるのかな。同じカートゥーンでしかないって意味での姿勢を感じるんだよね。
土居
そうなると『1895』ともちょっと絡んでくるんですかね。
グェン
結局双方の世界の描き方からみても、なんていうかな、自分がどっちに属するのか、意図というのは一目瞭然ですよね。以前の作品でも、おじいちゃんが世界を一周するのでも、その描写の仕方も、パターン化されているんですよね。
山村
ステレオタイプですよね。描き方は。
グェン
味はないかもしれないですよね、逆に。諷刺しなければならないとすると、ロトスコープを使ったり、ある意味で実験映画としても成り立つこと、アニメーションだけでしかできないようなことではないというか。またカートゥーンに走ることで、そういうようなモチーフを使うことで諷刺するという方法しかない。
土居
初期作品はパロディーというのが基本的な原理になっていると思うんですけど、『草上の朝食』からは、それのさらにもう一歩先に行っているような、ステレオタイプというよりはもっと根本的で普遍的なものを。
山村
基本的にはステレオタイプを使っているんだよね。外見上の構造は、カラーと白黒だったり、カートゥーンと切り紙だったり、ものすごくわかりやすく分けているんだけど……
グェン
ステレオタイプじゃないのは当然な気がするんだけど、自分の社会を描いているわけじゃないですか。普遍性があるというのは、きちんと自分の世界を描いているというか。あえていえば、しっかりと見てとれるアイデンティティがあるというか。さっきの”Independent life”のときも、みやすいというか、長くてもコントラストがある。二つのものが対立するということで、面白さの相乗効果が出て、二つの世界がどう関係するのかに集中する。
山村
これ(『ホテルE』)はそれをはぐらかしてる。明らかに絵柄のコントラストをつけて両方を描いていながら、結局両方ともどちらも同じだったというオチに行っている。
土居
結局同じ原理で動いているという。
山村
結局そういうことなのかなと。でもそれだけで言っちゃうと面白くないんだよね。
土居
難しいですね。コントラストは本当に徹底されていて、白黒の世界は全員が目に見える装置のなかできっちりとそれぞれの役割をこなさないといけないのに、反対側の西側の世界ではそれぞれが一人でそれぞれの楽しみに耽っていて、人が視界に入ってくると「テレビが見えないよ、どけよ」みたいな。手紙も届かないし届いたと思ったら破かれちゃうし、本当にそれぞれに断絶した世界。主人公が入ってくると、ちょっとはつながりが取り戻されるんだけど。ほんとに徹底されてる。
山村
イントロの2で描いていたことを最後にわかりやすく見せてくれているんだけど、それだけじゃないんだよ、というところが凄いと思うんだよね。それだけだったらつまらないな、で終わってしまうんだけど。
土居
『カール・アンド・マリリン』はそこだけで終わっているような感じがするんですよね。
山村
わかる。
土居
大山さんは『ホテルE』はどうですか。
大山
面白かった。初期のものを処女作も含めて観て、意外と初期の方が好きかもな、と思ったりしたんだけど、『トライアングル』を観て「ああ、面白いな」と思って、これ観てまた「ああ面白いな」と思って(笑)。 3 >
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