かしな細部
『ニンジンたちの夜』(1998)
土居
"independent life"と『おとぎ話』って、実写の手が出てくるじゃないですか。あれはなんなんですかね。"independent life"なんて、どんなふうに終わるんだろうと思っていたら、実写の手が出てきて画面をザーっと払ってしまって終わる。もちろん、こういう自己言及的なやり方というのはアニメーションではお馴染みですけど。
山村
よくあるよね。
土居
でも、それに過剰な意味を持たせるとか、変な意気込みは感じないんですよね。独特な使い方。
山村
いつも状況を変える瞬間に出てくるよね。時計を置いてあげたり。電話の位置をずらしたり。ほんとの神の手ではないんだよね。神の手なら書き換えたりできるんだけど、やることといったら物の位置をちょっとずらすだけだったり(笑)。でもそれで描かれた世界が狂ってくるというのがすごく面白い。"Manipulator"とは全然違う。
土居
誰の作品ですか。
山村
名前忘れちゃった。平面の動画のキャラクターが糸で操られるアニメーションがあるんだけど(Daniel Greaves, “Manipulation”)。テクニックはすごくよくできてるけど、描いている人間と描かれているキャラクターの位置関係だけでやっている、いかにもって感じの作品。全然幅が違う。
土居
パルンの場合は楽しんでいる感じがしますね。
山村
そういう遊びはすごく多いね。
土居
『草上の朝食』で繰り返し「おじさんが自転車に乗っているよ」みたいなことが言われるのはなんでなんですかね。
山村
僕らにはわからないけど、日常的なことでなにかあるんじゃないんですかね。
大山
パルンさんが変な薬をやっているということはないですよね。(一同笑)
山村
またそういう……(笑)。でも理性的だと思うよ。
ンジンたちの夜
土居
『ニンジンたちの夜』は、ちょっと困ったなっていう感じになっちゃいますね。なんか普通ですよね。
山村
普通……
グェン
なんで英語なんでしょうね?
土居
『1895』からずっと英語で。
山村
『1895』から急にナレーションが増えたんだよね。それまでなかったのに、全編にべったり。
土居
語り方のリズム、ペースがすごくゆったりしてますよね。始まったとき長編の映画の始まり方みたいなリズムで。
グェン
ナレーションだけべったりで……
山村
ちょっとシンドイですよね。
グェン
そこが、ある部分を担おうとしてるんですけど、あまり……
山村
普通だっていったけど普通じゃないと思うけど。
土居
まず、語り方のペースがすごくゆったりしていて、長編の映画の始まり方みたいなリズムになっている。あと、ちゃんとした物語があるって意味で普通。今まではある図式があってそれをどれだけ破綻していくかっていう感じだったのが、この作品は一応カタルシスに向かっていって、オチもちゃんとついていて、みたいな。
山村
オチある?
土居
最終的にPGIが壊れてしまうというオチ。主人公っぽいディエゴが結局全然関係ないっていうのは面白かったですけど。
山村
うーん、そういう意味のストーリーか……
土居
山村さんが普通じゃないっていうのは、どういうあたりが?
山村
今見終わって普通じゃないなと思ったんだよね本当に(笑)。僕はそう思ったんだけど、みんなが普通だっていうから。
土居
僕まだ3回くらいしか見てないんでなんとも言えないですけど。
山村
僕も10回くらいしか見てないけど。(一同笑)
大山
単位がおかしい(笑)。
中田
みんな普通だっていう結論にたどり着いたんですか?普通ってなんですか?
大山
僕が見てて思った普通っていうのは、なんかわりと絵もキャラクターデザインもアニメーションも見慣れたものっていうか、テレビとかで普通にやってそうな、色のせいかな?
土居
キャラクターの設定がしっかりして、今までみたいな匿名の感じが全くなくなったんですよね。これまでは個々のキャラクターがもっと無人称だったような感じが。
山村
いわゆるキャラクターアニメーションに近づいて来たっていう意味で普通っていう?
土居
なんかちょっと変な事やってる人なら作りそうだな、みたいな。
大山
なんか若者が作ったみたいな雰囲気が、妙におしゃれな。
山村
そういう意味では普通かもしれないですね。
土居
いままでみたいに様式を破壊するっていうよりも、どっちかっていうと何かっぽくするっていうような雰囲気をすごく感じてしまって、戸惑ってしまうんですけど。あんまり切実なものではないような気もします。対岸の火事の出来事を描いているような。
山村
それはそうですね。どんどん進むにつれてそうなってってるよね。次の『カール・アンド・マリリン』もそうだね。
土居
今までのパルンの作品って、別に前提の知識がなくとも、変な動きとかで楽しめる部分もあったんですけど、最近のはそういうのがなくなっていて、『カール・アンド・マリリン』だったら、カール・マルクスやマリリン・モンローやジョン・レノンが出てきて、そういう人たちがどういう人物だったかというのをある程度分かってないと、楽しめない気がします。ある意味で内輪ネタのような感じで、そういうのを分かってると、「ふふん」って冷たく笑える、みたいな。ちょっとスケールが小さくなってしまったかなっていう感じがすごくするんです。普通のエンターテイメント見てるような感じというか。
山村
そう? でも普通のエンターテイメントじゃない部分も……
グェン
ちょっとつらいエンターテイメント(笑)
山村
そうだね。かなり集中してないと見てられないよねこれ。ぼくもいつも見るたびにつらいんだけど(笑)あまり見たくない作品。
大山
別に作る環境が変わったいう事はないんですか?
山村
うん、変わってきてはいるんだと思うんだけどね。
土居
劇的に変わりましたよね。『1895』ができてからの3年間の間に。
グェン
言語が変わった事自体については何か説明は?
土居
『1895』をなんで英語で作ってるのかっていうのは凄く疑問に感じるんですけどね。エストニアでお金出してるんですよね。
山村
多分それ以前のもので映画祭で成功しているから国際性を……
グェン
経済的な事情が変わった? 自由化とか?
山村
Eesti JoonisFilmが設立した頃だし、ヨーロッパに売りやすいっていうところで英語にしたっていうことはあるかもしれない。でも売れる作品として作ってるとは思えなくて、そういう意味では普通じゃないと思うんだよね。
土居
中途半端な感じは否めないですね。
グェン
英語で作る必要は全然ないような気がするんだよね。あれはちょっと残念。以前山村さんも話していた様に、政治的な状況も変わって何かそれによってスタンスも変わってしまったんでしょうか?
山村
どうなんだろうね。
グェン
でも確かに社会風刺をしようと思っても、社会があんな劇的に変わってしまっては、前みたいには出来ないよね、多分。
山村
そうですね。そうだと思います。逆にいい意味でいえば現実の社会を写してるのかもしれないですね。
土居
ああ、こういう作品になった事自体が。
山村
単純なコントラストでは語れなくなってきて、『カール・アンド・マリリン』は失敗してるんだけど、これはもうちょっと現実の不透明な感じが作品に反映されているといえばそうなのかもしれない。でもそんな中でもちょっと自分たちの存在意義みたいなものを描いている。アンダーグラウンドのことを。システムとしてのアンダーグラウンド。そこにも、芸術家だけじゃない自分たちの文化のあり方みたいなことがちょっと入って来ている。自分たちのやってる事の存在意味が見えなくなってきた感じっていうのが作品に出てるのかな....
プリート・パルンPriit P�rn
1946年、エストニアのタリン生まれ。70年にタルトゥ大学の生物学科を卒業し、76年までタリンの植物園に勤務。その間に風刺画家としてのキャリアも重ねていく。76年にエストニアの国営スタジオであるタリンフィルムに転職。翌年の77年に"Is the Earth Round?"で監督デビュー。特異なキャラクター・デザインと、それに負けない奇妙な展開、質量ともに豊富なアイディアをたたみかけていく作風で、国際映画祭では常連であり、実に多くの賞を受賞している。コマーシャル作品も多く手がけている。現在では版画家としての活動も盛んに行っている。
フィルモグラフィー
1977 Is the Earth Round?
1978 And Plays Tricks
1980 Some Exercise in Preparation for Independent Life
1982 『トライアングル』Triangle
1984 『おとぎ話』Time Out
1987 『草上の朝食』Breakfast on the Grass
1992 『ホテルE』Hotel E
1995 『1895』1895(ヤンノ・ポルドマと共同監督)
1998 『ニンジンたちの夜』Night of the Carrots
2003 『カール・アンド・マリリン』Karl and Marilyn
2003-05 『フランク・アンド・ウェンディ』Frank and Wendy(脚本及びキャラクター・デザイン担当)
2007 I Feel a Lifelong Bullet in the Back of My Head("Black Ceiling"という、エストニアの詩人の詩をアニメーション化するオムニバスの一編)
プリート・パルンの作品は、以下のDVD及びビデオで入手可能。
○DVD DVD情報はこちら。
「年をとった鰐」&山村浩二セレクトアニメーション[Amazon](『おとぎ話』収録)
○VHS
awn.comのストアにて販売されている「Contemporary Estonian Animation」シリーズのうち、Volume1と2に、"And Plays Tricks"から『ニンジンたちの夜』までの全作品が収録されている。
Estonian Animation: Volume 1[awn.com]
("And Plays Tricks", "Some Exercises in Preparation for Independent Life", 『草上の朝食』, 『ホテルE』収録)
Estonian Animation: Volume 2[awn.com]
(『トライアングル』, 『おとぎ話』, 『1895』, 『ニンジンたちの夜』収録)
ひとこと後記
今回の座談会はいろいろごちゃごちゃとパルン作品の解釈を試みてしまいましたが、どんなことを言ったとしても、やはりどうも取り逃がしてしまうものがあります。パルンについては、とりあえずは映像を純粋に楽しんでください。それが一番です。その後で、この座談会を読んでぼくたちと一緒にああでもないこうでもないと反芻していただければ……(土居)
アニメーションに限らず全ての表現媒体に共通していることですが、私は何気ないしぐさや小さな動きでも人を感動させられると信じているんです。例えば「人が振り返る」とか「カーテンがたなびいている」とかそんな事です。パルンの作品にはそういう感動が溢れています。だから見る度にドキドキするんですね。(中田)
『ニンジンたちの夜』に関して、今回の座談会では批判的な意見が多かった。しかし再度見直してみれば、いかに非凡な作品かは明らかだ。やはり作品を理解知る為には、再三見直さなくては、表面的な印象の議論に終わってしまう。しかしまだ日本での本格的な紹介はこれからという所で、パルン作品を日本に広く紹介したいとう僕の20年来の夢をDVD発売を機に実現していきたい。(山村)
今回の座談会で再三でてきた「すごい」という言葉。「すごい」じゃ説明になっていないけれど、本当に「すごい」んです。そして僕はもうひとつ、パルン作品を観ると「くやしい」んです。展開の発想、動きの発想、自分の理解の範疇を超えているところがあり、そこが「すごい」から「くやしい」んです。その創造の秘密を理解したいから今後もパルン作品を見続けていきます。(和田) |
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